定印あれこれ | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

先日、坐禅中における「経行(きんひん)」についての過去記事を改稿したついでに、気になっていた坐禅時の手の形である「定印(じょういん)」についても再投稿してみたい。

 

インドにおける定印は本来、左手が下であったものを、中国で天台大師智顗(ちぎ)が右手を下にすると決めて以来、中国系の仏教では(台湾、韓国、ベトナム、日本を問わず)天台宗でも禅宗でも、右手を下にして坐禅を行うことになった。ただし、同じく日本の場合でも、密教における定印は左手が下なので、阿字観などの瞑想法の定印は、左手を下にする。

 

さて、天台宗の食事作法と坐禅作法をそれぞれ裏表に刷った折本の小さな冊子があって、得度式や行院、僧侶の勉強会から一般在家の方の比叡山での研修会などに至るまで、幅広くこれが使用されているのだが、その中の食事作法の内の「五観の偈」という偈文を唱える時には、定印を結ぶことになっている。

 

さて、天台宗では坐禅の時などの顕教においては右手が下、護摩行などの密教では左手が下という二通りの定印を使い分けるのだが、食事作法の時の定印はどちらの手が下なのかが、その冊子には明記されていない。

 

しかも、天台宗の食事作法冊子の最新版では、五観の偈の時の手の形が「定印」ではなく、「合掌」に変更されている。法儀に詳しい方などに聞いてもはっきりしないのだが、よく考えてみれば天台宗の坐禅作法や食事作法というのは概ね禅宗の作法を逆輸入して成り立っている。

 

日本の禅宗は日本の天台宗から分かれて成立したが、日本禅宗の祖師たちは当時の中国に留学し、新しい作法を取り入れて帰朝した。その細かい作法を天台宗が採用して組み立て直したのが、今の天台の坐禅止観作法や食事作法だ。だから、禅と天台止観の坐禅瞑想に関する考え方は大きく違うけれど、坐る時の作法や食事の時の作法はそんなに大きく違わない。

 

従って、食事の時の天台宗の定印は当然ながら、禅宗と同じく右手を下にする顕教式の手の形で行うべきだということに、先日、食事をしている時にふと思い当たったので、こうして過去記事を再投稿している次第です。

 

 

※禅宗の方が、「五観の偈」は「五観」という文字の通り、「唱える」ものではなく「観想する」ものだったというお話を書いておられました。興味深いので勝手にリンクを貼らせて頂きます。

 

「観法としての「五観の偈」について」

 

 

 

              おしまい。

 

 

「ホームページ アジアの定印」もご覧ください。