先日「浄瑠璃寺の365日」という本を読ませて頂いたのだが、このご著書は単なる境内ガイドや日々の随想に留まらず、易しく読みやすい文章で葬儀や仏事の真髄を明晰に解き明かしておられて、とても好感が持てる良著だった。
その中で、著者であるご住職が、「お寺で仏さまにお願いごとをする時には、まず懴悔文を唱えてからにすると良い。そうすることでお参りがこちらからの一方的な物にならず双方向の物になる」という意味のことを書いておられたので、なるほどと思った。
そう言えば、比叡山のあるお坊さんも、「お勤めの時にお経の最初に唱える「我昔所造(がしゃくしょぞう…)」で始まるおなじみの懺悔文(さんげもん)という偈文(げもん)さえ唱えておけば、日常生活であれ、修行のことであれ、大概どんなことにも対応できる」ということを、いつも口癖のように仰っていたそうだ。
自分の行動、言葉、考えによって生じてしまったひずみ、苦しみ、いやな出来事、それら全てに対して気づきを以って懺悔すれば、驚くほどに心が調う。
おしまい。
※参考までに懴悔について書かせて頂いた過去記事を抜粋させて頂きます。
「我昔諸造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 従身口意之所生 一切我今皆懺悔」
(がしゃくしょぞうしゃくごう かいゆむしとんじんち じゅうしんぐいししょしょう いっさいがこんかいさんげ)
「我、昔より造りしところの諸々の悪業は、皆、無始の貪瞋痴による 身口意より生ずる所なり 一切を我、今みな懺悔す」
「私が造るすべての罪は、みな貪り、怒り、迷いによるもので、
その原因は私の行動と言葉と心です。
だから今、私はそれらのすべてを懺悔します」
テーラワーダ仏教には月に2回、ウポーサタという行事があって、戒律全文を比丘全員で反芻し、懺悔するし、また、それと別に毎日、比丘たちが二人一組で行う懺悔の作法もある。
ウポーサタを音訳した漢語が「布薩」(ふさつ)であり、古来、日本仏教でも行われたし、また、懺法(せんぼう)と言って、懺悔を儀式化した法要は、大乗仏教において、大変、重要視された。
お水取りで知られる東大寺の修二会は「十一面観音悔過(けか)法」が中心だし、また、「法華懺法」は天台宗では常用の勤行儀であり、修験道などにも影響を与えている。
そんなあれこれを踏まえた上で、「我昔所造…」の懺悔文は、短くても「懺悔」という行為の真髄を的確に含んでおり、現在の台湾や韓国でも使用されている。
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