大野晋著「悟りと葬式」のこと | アジアのお坊さん 番外編

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私が思う大野晋氏の仏教書の特徴は、テーマが面白い上にそれに対する自分の情緒的意見を述べるのではなく、あくまでも学術的な立場で資料を駆使し論理を積み重ねて話を進める、そしてテーラワーダ仏教(を含む原始仏教やパーリ語仏教)と大乗仏教両方に関する知識が散りばめられている、といった所だろうか。

 

さて、この「悟りと葬式」という著書は、ブッダは葬式をしなかったし、僧侶に葬儀を執り行えとも言わなかった、然るに現在の日本仏教の僧侶たちの生活は葬儀に終始しているといった所謂「葬式仏教」批判というものが、果たして本当に正しいのか否かを上記のような氏独特のアプローチで解き明かそうと試みたものだ。

 

論理的であるということはつまり裏返せば甚だ理屈っぽくて繰り返しの多い大野氏の文章が、この「悟りと葬式」のように一般向けの選書で出るということは、この著者の他の著作が如何に売れているかということの証しなのかも知れないけれど、それらも含めて大野氏の著作は、テーマや論考が面白い割りに最終的な結論が案外平凡であるというのも特徴だ。

 

この「悟りと葬式」に関しても、結局どんな新しい見解が待っているのかと楽しみにしていたら、だから日本のお坊さんたちももっと頑張りましょう的な結論で終わってしまっているが少し残念だった。

 

余談ながらもう一つ言わせて頂くと、引用されている仏教文献の現代語訳はまあ良いとしても、いくつか混じっている文語訳の文章が下手すぎる。今や古典となった友松圓諦師の定評ある文語訳ですら、こんな文章ならばいっそ無理せず口語訳にすればいいのにと失礼なことを秘かに思っている口なので、「悟りと葬式」の文語訳も私にはとても不満足な内容だった。

 

今さらながら「ブッダのことば」「真理のことば」といった中村元博士の口語訳が、一見普通の文章に見えて、如何に練りに練られた名文であるかを改めて認識した次第です。

                  おしまい。

 

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