ある大きなお寺の若い役僧さんが、本堂の前の大きな賓頭盧(びんずる)さんの前で、団参(団体参拝者)の方たちに法話交じりの説明をしておられたそうだ。
賓頭盧さんはお酒好きをお釈迦さまにたしなめられて、以後、堂内に入ることを禁止されたので今もお堂の中に入れず外に坐っておられる、賓頭盧さんが赤い顔や身体をされているのはお酒を呑んでいるためなのだと、そのお坊さんが説明しておられたという。
この系統の俗説はインターネット上にも溢れているので、このお坊さんもインターネットで調べたことを鵜呑みにして喋っておられたのかも知れない。一般のサイトだけでなく、お寺やお坊さんのブログなどにも、似たような話が書かれていたりする。
さて、水野弘元著「釈尊の生涯」(春秋社)250頁によれば、賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)とは仏弟子ピンドーラ・バーラドヴァージャの音写であり、コーサンビー国のウデーナ(優填)王の臣下でありながらブッダに帰依して出家し、阿羅漢果の悟りを得て、優れた神通力を発揮したという。
ただ、その神通力をいたずらに誇るようなところがあったのでブッダ(お釈迦さま)にたしなめられて、(左遷のような意味合いで)遠方の布教へ出されたという挿話も、「新・仏教辞典」(中村元監修・誠信書房)に載っている。
一方で、賓頭盧さんと同じ時期にコーサンビー国に住んでいたサーガタという比丘が酒を飲んだことによって、それを戒めるために不飲酒戒が制定されたという挿話もあり、森章司氏と本澤綱夫氏による「コーサンビーの仏教」という論文には、ピンドーラ長老(賓頭盧さん)とサーガタ比丘についての説明が、PDFの61頁(論文下部記載のページ数では207頁)以降に、ちょうど2つ続けて記載されている。
賓頭盧さんが酒飲みだという俗説は、おそらくこの2つの挿話が入り混じった結果、誤った内容となって日本で生まれたのではないかと私は思うのだが、如何だろうか?
※「テーラガーター 123句、124句(岩波文庫版「仏弟子の告白」45ー46頁)に載っている、ピンドーラ・バーラドヴァージャ長老の、
「けだし、彼ら(修行者)は、良家の人々からつねに受ける礼拝と供養とは、汚泥のようなものであると知っているからである。細かな(鋭い)矢は抜き難い。凡人は(他人から受ける)尊敬を捨てることは難しい。」
という言葉は、賓頭盧さんご自身が慢心を起こしたという上の挿話を踏まえて読むと、よく理解できる。
おしまい。
※「ホームページアジアのお坊さん本編」もご覧ください。
※賓頭盧さんは十大弟子の中には含まれていないけれど、十六羅漢の一人であり、ということはつまり中国仏教以降、特に重要視されたのだろう。ご自身でブッダに代わって説法をなさったり、神通力を発揮したその経歴から、日本では本尊を祀る本堂の前に鎮座する形の撫で仏信仰を生んだのかも知れない。