先日、NHKの番組「きん5時」の中で「イマドキの宿坊」という特集が組まれていたことを、人から教えて頂いた。
独自の個性的な宿坊を営む京都府綾部市と和歌山県那智勝浦町の2つのお寺が紹介されていたのだが、そうしたお寺や宿坊の試みは確かに今時さほど珍しくはないので、その是非に関するコメントは控えさせて頂くことにする。
ここではこれを機会に、何度も書かせて頂いている「宿坊」という言葉の歴史について、改めてまとめさせて頂くことにしたい。
さて、仏教辞書や一般の辞書の「宿坊」の項には「お寺で信者や巡礼者を泊める場所。また、僧侶が自分の僧坊を指す時にも使う」といった説明がなされていて、営利・非営利両方の宿坊に関する色々なインターネットのサイトにも、ほぼそれに準じた説明がなされていることが多い。
ただ、こうした記述を読んだだけでは「宿坊」という言葉に「巡礼宿」と「僧坊」という二つの意味が元から含まれていたかのように受け取れるが、本来は誰かが泊まる坊や泊まっている坊のことを「宿坊」と呼んだのであって、例えば僧侶が「私の住んでいる僧坊は…」という意味で、「私の宿坊は…」という風に使ったような用法などから、「僧侶が自分の僧坊をも指す」という説明が出て来たのだろう。
さて、古くは「宿坊」という文字よりも「宿房」という表記の方が一般的だったのだが、ご存知の方も多いように、「房」とは中国語では部屋のことを指す漢字だ。
「今昔物語集」においても「僧房」や「宿房」という表記がほとんどで、「今昔」の本朝仏法部に限れば、巻20の23話と24話に、ようやく「坊」「僧坊」「坊主」という「坊」を使った言葉が、「房」や「房主」と混在しながら出て来る程度だ。
また、「今昔物語集」巻11の4話の道照和尚の話には「宿房」という言葉が見えるのだが、道照は日本の法相宗の開祖で奈良時代に唐へ渡って、当時、存命中だった玄奘三蔵から、直々に教えを受けた。
その話の中で、唐のお寺における客僧である道照の宿舎が、「宿房」という呼び方で何度も出て来るが、玄奘自身の僧坊は「房」と表現されている。
ちなみに、その少し後に出て来る、興福寺の由来話では、興福寺の伽藍を説明する件りに「僧房」という言葉が出てくるから、多分、僧坊は普通に「僧房」と呼ばれ、誰かが泊まっている「僧房」のことを「宿房」と呼んだのだということが分かる。
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画像は台湾・獅頭山の僧坊。「禅房」という表現になっています。
ちなみに獅頭山の宿坊は「客房」と呼ばれています。
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インド、台湾、韓国、日本の宿坊事情については、
「ホームページ アジアのお坊さん 宿坊」をご覧ください。