改めて辻政信「潜行三千里」の話 | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

何度も書かせて頂いているが、タイ・バンコクのワット・リアップ(ワット・ラチャブラナ)寺院には戦前から日本人納骨堂があり、終戦直前に旧日本軍の辻政信元大佐が僧侶に変装して潜んだことでも知られている。

 

さて、辻が戦後に著した「潜行三千里」を改めて読み返しているのだが、今さらながら思いの外の面白さに驚いている。

 

特に前半、辻がワット・リアップに潜伏していた時の描写を読むと、当時のバンコクの様子もよく分かるし、辻から見たタイ仏教やリアップ寺の印象なども描かれていて、とても参考になる。

 

一例を挙げると、真宗の僧侶学者である佐々木教悟師という方は、1944年1月~1946年8月にタイのワット・リアップ及びワット・スタット寺院で修行された方なのだが、「潜行三千里」には当時居住しておられた佐々木師のお人柄が、とてもよく描かれている。

 

ワット・リアップ寺院は現在も高野山真言宗のお坊さんがテーラワーダ比丘として得度した上で、三年を任期として日本人納骨堂の管理に当たっておられるが、詳しくは1987年発行の「泰国日本人納骨堂建立五十周年記念誌」や2016年発行の「仏教をめぐる日本と東南アジア地域」(勉誠出版)中の「タイへ渡った真言僧たち 高野山真言宗タイ開教留学僧へのインタビュー」をご参照頂ければと思う。

 

ところで、私が修行させて頂いたワット・パクナム寺院は、ワット・リアップと違って、バンコクの市街からチャオプラヤー河を挟んだトンブリ側にあるのだが、同じ日本人比丘居住の寺としてリアップ寺とは昔から交流があり、私もタイ安居時には当時の駐在僧の方に、よくお世話になったものだ。

 

今、「潜行三千里」を改めて読み直しながら、ワット・パクナム寺から運河ボートに乗ってワット・リアップ寺を訪ねたことなどを、懐かしく思い出している。

 

 

 

                   おしまい。

 

 

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