「気をつける」話 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

「気」という言葉の付く日本語はたくさんある。

 

漢訳仏典で「念」と訳されていたパーリ語の「sati」は、現在、「気づき」と訳されて、テーラワーダ仏教の修行や瞑想に活用されているが、この意味での「気」を使った日本語の用法には、以下のようなものがある。

 

気を付ける

気を配る

気を入れる

  

一方で、テーラワーダ仏教の日本での流行以前に、普通に日本語で「気づき」と言った時には、「気が付く」という意味合いが多かったように思うが、「sati」の訳として使う場合の「気づき」とは、いわゆる「気がつく」こととは違うのだ。

 

にも関わらず、近頃の啓発本やセラピー本、スピリチュアル本の中では「気づき」という言葉が、「日常生活におけるちょっとした、けれど素敵な発見」的なニュアンスで頻繁に使われている。

 

1990年代よりも以前から、プラ・ユキ・ナラテボー師はパーリ語の「sati」を表す言葉として、英語の「awareneess」や「mindfulness」と共に日本語の「気づき」という言葉を使っておられたが、漢訳仏典における「念」という訳語だけでは表しきれない何かを、テーラワーダ関係の人々が「気づき」という日本語で、その本来のニュアンスを伝えようと努力して来た訳だ。

 

という訳でこの言葉、日本語では「気をつける」という言葉が近いのではなかろうかと、最近改めて考えている次第です。

 

 

 

                 おしまい。

 

 

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