例えば商品として車をもらった人や、何かの業界で殿堂入りなどを果たした人に、大きな鍵の模型を儀式的に授与することがあるが、キリスト教において、イエスはペテロに教会の鍵を託したとされ、ペテロは後に第1代のローマ教皇となった。
前回も書かせて頂いたように、私は神道学を専攻し神職の資格を取った後に天台宗で得度したのだが、日本の神道における神職の祭式作法には「御扉開閉」というものがあって、これは祭典の中で実際に神殿の扉の鑰(かぎ)を開け閉めするための作法だ。
また、中世の神道五部書の一つである「倭姫命世紀」に「天岩戸の鍵」という言葉が出て来るが、崇神天皇10年の時、倭姫命(やまとひめのみこと)が宇太乃大祢奈(うだのおおねな)という童女を大物忌(おおものいみ)と定めて天磐戸の鑰を託したといった意味のことが書いてあり、イエスによるペテロへの鍵の預託を思わせる。
仏教における「鍵」の信仰と言えば、何と言っても善光寺の戒壇巡りにおける極楽の錠前が有名だろう。真っ暗な本堂の地下を手探りで歩き、本尊壇の地下に位置する錠前に手が触れたら極楽往生が決定するという信仰は、日本各地の戒壇巡りを有するお寺に共通する。
仏教における奥儀を「秘鍵」などと表現するように、古来「鍵」というものは、世界中で何らかの寓意を有するものとして認識されていたようだ。
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