法事と法要の違いについて | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

先日、年忌法要のためにお寺にお参りに来た若い男性から、法事と法要はどう違うのかと質問されたので、細かく言うと切りがありませんが大体同じ意味だと思って下さい、皆さんが一般に使う場合は「法事」と呼び、お寺では「法要」ということが多いでしょうけれど、意味はそんなに変わりませんので、どちらでも大丈夫ですよとお答えしたのだが、さて。

 

インターネットなどで「法事 法要 違い」などと検索すると、多くは葬儀屋さんや仏具屋さんのサイトが上位に上がっていて、法事と法要は大きく違います、「法要」というのが重要な儀式であって、それを含む一連の行事を「法事」と呼ぶのです、「法事」と「法要」は大きく違います、といった意味のことが書いてある。

 

そこで東京書籍の「佛教語大辞典」(中村元著)の「法事」の項を調べてみた。

 

 「法事」 仏事。中国では法要などの仏教行事をいう。

 

とあるので、「仏事」を引いてみると、

 

 「仏事」 すべて仏教に関係のある行事を言う。特に死者の年忌に追善供養や法会などを行うこと。

 

とある。そこで今度は「法会」を引いてみる。

 

 「法会」 仏事・法要をいう。仏・菩薩を供養し、衆僧や民衆に供養し、説法などを行う集まりで、インド以来行われた。

 

とあるから、さらに「法要」を引いてみた。

 

 「法要」 現今は、仏教の儀式の意に用いるのが普通。

 

となっている。

 

「徒然草」に「仏事」、「沙石集」に「法事」という言葉が出て来ることなども記されていて、つまりはどの言葉も本来は、そんなに区別して使われていなかったということが分かる。

 

ちなみに、天台宗の「布教手帳」の中にも「葬儀と法事」「供養と法事」といった項目があり、「法事」「仏事」「法要」「供養」といった言葉はごく普通に混在して説明に使われている。従って、「法事」と「法要」は、本来、そんなに厳密に区別して使われていなかったのだというのが、私の結論です。

                       おしまい。  

 

 

ついでながら、上の文中にもある「供養」という言葉は、サンスクリット語の「プージャ puja」の漢訳であり、本来の意味としては文字通り、供える、供物を捧げるという意味だったが、インドにおける現代ヒンディー語の「プージャ」は複雑な宗教儀礼と同時に、お参りやお祈りやお勤めのことも表す、ごく日常的な言葉となっている。

 

また、仏教に関するタイの祝日である「ワン・ウィサーカ・ブーチャー」や「ワン・マーカ・ブーチャー」などの「ブーチャー」という言葉も「プージャ」のタイ語訛りだから、タイにおいてもやはりこの言葉は法要や仏教儀礼を表す言葉として使われている。  

 

ちなみに仏教における「プージャ=供養」という言葉は、自分自身の良い行いによって生じた功徳を「お供え」する、即ち他者のために回して向けるという「回向」の概念と密接不可分であり、「法事」と呼ぶにしろ「法要」と呼ぶにしろ、それらは全て善行を積むための儀礼でなければならないのだと思う。

 

 

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