再び「顔のない死体」トリックについて…日本古典におけるもう一例 | アジアのお坊さん 番外編

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被害者の死体が、実は犯人だと思われていた人物の遺体だった、死体の顔を認識できないほど傷つけておいて、被害者と加害者が入れ替わるというのが探偵小説における「顔のない死体」トリックの基本だが、これには様々なバリエーションがある。

 

 

江戸川乱歩が随筆「顔のない死体」の中で、「古事記、日本書紀、今昔物語、古今著聞集などに顔のない死体に関する話がありそうだがまだ確かめていない」と書いているので、今昔物語集の本朝仏法部と本朝世俗部を読み直してみたのだが、このトリックの類話はないようだった。   

 

以前、拙ブログ「顔のない死体トリックの起源に関する覚え書き」にも書いたが、乱歩は内外の探偵小説の作品例を挙げた上で、文学史におけるこのトリックの起源について考察している。ミステリとしての起源はポオと同時代に活躍したディケンズの「バーナビー・ラッジ」であるとし、そして、その他の文学作品においては紀元前のギリシャの例を二つと中国宋代の例を一つ挙げている。

 

日本文学では「源平盛衰記」巻20の「公藤介自害の事」に触れつつも、この挿話はトリックとしての意味が薄いと書いている。私も勉誠出版の「完訳 源平盛衰記」第四巻(巻18-24)「工藤介自害の事」(公藤介ではなく、工藤介の表記)という本を確かめてみたが、武士が自分の身元を分からなくするために首を切り落としてもらうという内容なので、トリックとしての意味が薄いし、これと同じ発想だけを言うならば、古今東西いろんな他の物語の中にもあるだろうと思う。

 

乱歩の随筆に出て来ない古典の例として、前回のブログで、文楽や歌舞伎でお馴染みの「一谷嫩軍記」(いちのたにふたばぐんき)の熊谷直実とその息子・小次郎のエピソードを、人間入れ替わりトリックの一例として挙げさせて頂いた。

 

今回、「菅原伝授手習鑑」の「寺子屋の段」の内の有名なエピソードである、菅秀才(道真の息子)の首改めのシーンに気づいたので挙げておく。首実検の首を偽物とすり替えるというのは珍しい設定ではないかも知れないし、「顔のない死体」トリックのバリエーションと言えないかも知れないが、折角なので一例として、ここに採集させて頂くことに致します。

                                

                      おしまい。

 

 

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※参考文献

クレイトン・ロースン「首のない女」

江戸川乱歩「石榴」「顔のない死体」

横溝正史「黒猫亭事件」

笠井潔「バイバイ、エンジェル」

大山誠一郎「顔のない死体はなぜ顔がないのか」

 

※参考ブログ 

「新・真夜中にようこそ! 顔のない死体」

 

「物語良品館資料室 顔のない死体 死体損傷トリックの歴史」