先日、叡山学院彙報平成31年2月号(第44号)に収録されている、蓑輪顕量師の「止観とマインドフルネス」という講演録について書かせて頂いたので、この機会に蓑輪師の「仏教瞑想論」を読み直してみることにした。印象に残ったところを以下に列挙させて頂くことにする。
・中央アジアの大乗仏教における仏の姿を観想するタイプの瞑想は、仏像の発生と関連があるのではないか。
・しかし、上座部系の瞑想では、仏の姿そのものを観想するのは瞑想の失敗とされる。
・「止」の意味を持っていた公案に「観」の機能を持たせようとする方向性が、日本では中世以後の禅宗から出て来る。
・「平常心是れ道なり」と述べた中国の馬祖同一の思想以降に発生した、日常的な出来事に対して心に生じる動きを肯定的に受け止める禅の考えは、インド的な瞑想の発想からすれば180度の転換である。
・日蓮宗の唱題行は明治の頃に出来上がった行法。
・黄檗宗における念仏と禅の融合を白隠は批判した。
・その他、ミャンマー、タイ、台湾、韓国などで現在行われている瞑想についても述べられていて、特に日本ではタイやミャンマーのテーラワーダ式瞑想に比べると余り知られていない、台湾仏教の瞑想についても、埔里の中台禅寺の事例などを踏まえて報告されている。
著者が、教理だけでなく、瞑想の実践・修行道を踏まえた俯瞰的な研究はこれまでなかったはずだと自負されているその成果が如何ほどのものかは、読者の判断に委ねるが、少なくともこれが果敢な試みであることは間違いないと思う。
タイの瞑想指導本「サマーティ」。「サマーティ」は「サマーディ」のタイ語訛り。
台湾の中台禅寺で見た表示。
おしまい。
※「旅行人」2006年春号に掲載して頂いた「バックパッカーのためのアジアお坊さん入門」を大幅加筆し、2019年に全面的にリニューアルした「ホームページ アジアのお坊さん 本編」を新ページを追加しました。
アジアのお寺のトイレのあれこれについての新ページ「アジアの東司…お寺のトイレ」を是非ご覧ください。