ブッダの怒り | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

平家物語の始めの方で、平清盛の寵愛を仏御前に奪われた白拍子の祇王が歌った「仏も昔は凡夫なり」という今様の歌詞は、梁塵秘抄の「仏も昔は人なりき」を踏まえている訳だが、「仏も昔は凡夫なり」の方が語呂も良く、その意味をよく伝える気がするからか、「凡夫なり」の方が人口に膾炙して、辞書などにも例文として取り上げられている。

さて、ブッダは出家して修行して悟りを開くまでは、王子の身とは言え、一般在家の生活を送っておられた訳だから、普通の人間の様々な感情というものを、ご経験済みだったに違いない。

仏教において、貪瞋痴すなわち欲と怒りと迷いは最大の煩悩とされるから、その内の怒りについてもまた、仏典にはたくさんの記載があるが、例えばスッタニパータやダンマパダ(岩波文庫版の「ブッダのことば」「真理のことば」)を見ていると、怒りについての説明が、とても生々しく具体的であるように、私には思える。

スッタニパータ
「蛇の毒が身体のすみずみにひろがるのを薬で制するように、怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る」

ダンマパダ
「かれは、我を罵った。かれは、我を害した。かれは、我にうち勝った。かれは、我から強奪したという思いをいだく人には、怨みはついにやむことがない」
「走る車を抑えるようにむらむらと起る怒りを抑える人ー彼を我は御者とよぶ」
「怒らないことによって怒りにうち勝て」
「真実を語れ。怒るな」

他にももっと色々あるのだけれど、今はちょっと探せない。とにかく出家以前のシッダルタ王子時代のブッダは、怒りの感情というものを味わったことがあり、それを滅ぶすことに成功したご自身の経験を基に、怒りについて説いておられるのだと、これらのお言葉から感じることができる。

我々、凡夫たる人間にとって、怒りの感情というものは、簡単なようでいて、なかなか滅ぼすことができない。気づかぬところで意外と細かな怒りの感情が日々生まれては消えているものだが、それを滅ぼしつくしてこそ、心の平安があるのだと、ブッダは教えてくれている。

「かれは、我を罵った。かれは、我を害した。かれは、我にうち勝った。かれは、我から強奪したという思いをいだかない人には、ついに怨みがやむ」ダンマパダ