無責任な意味での無関心ではなく、仏教的な意味において心を乱さないようにと心掛けつつ、例えばこんな経文を、秘かに思い浮かべてみたりする(訳文は全て岩波文庫版の中村元訳によりました)。
他人がことばを極めてほめたりそしったりしても、水浴場における柱のように泰然とそびえ立ち、欲情を離れ、諸々の感官をよく静めている人、ー諸々の賢者は、かれを「聖者」であると知る。
(「ブッダのことば スッタニパータ」214)
世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、汚れを離れ、安穏であること、-これがこよなき幸せである。
(「ブッダのことば スッタニパータ」268)
悩める人々のあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。悩める人々のあいだにあって、悩み無く暮らそう。
(「真理のことば ダンマパダ」198)
※ホームページ「アジアのお坊さん」本編も是非ご覧ください。