アジアの沙門 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

私が「沙門」という言葉を意識し出したのは、多分、タイの修行から帰ってすぐ、四国八十八カ所を歩いて巡礼した時に、一軒の遍路宿に宿泊者ノートみたいな帳面があって、以前に泊まったお坊さんが、「天台沙門誰それ」と署名しているのを見た時が、初めてだったかと思う。

ああ、そういう書き方もあるのかと思い、日蓮が「天台沙門」と名乗っていたことなどが頭を掠め、或いは「日本霊異記」の作者・景戒が「沙門景戒」と自署していたことや、「方丈記」の最後に鴨長明が記した「桑門の蓮胤」という署名の「桑門」も、「沙門」と同じく、梵語の「シュラマナ」やパーリ語の「サマナ」の音訳だったはずだということなども、同時に脳裏をよぎった。

その後、インドの印度山日本寺に赴任し、大勢の日本人巡礼者とお会いしたが、その中にはご自身の名刺に「入竺沙門」という肩書きを印刷しておられるお坊さま方が、時折りおられたので驚いた。

「入竺沙門」と言えば、法顕三蔵や玄奘三蔵のような、艱難辛苦を極めた求法取経の旅をされた高僧方のことを指すのだと思うから、自分なら例えインドに何度も出向き、他のお坊さんとはインドへの係わり方が違うんだという自負があったとしても、恐れ多くてそうは名乗れないなあと思ったものだが、しかしまた、こういう方の名刺を拝見した時にも、「沙門」という言葉が私の心のどこかに、ひっそりと巣食い出したものだ。

ダンマパダやスッタニパータみたいな原始仏典には、沙門という言葉が頻出する。中村元博士は「沙門」を「道の人」と訳しておられるが、或いはまた、沙門・婆羅門と並称されるこの言葉のインド史的な意義を検証した「沙門ブッダの成立」(山崎守一著・大蔵出版)といった本もある。

実を言うと、私をタイで修行させて下さった横浜善光寺留学僧育英会の育英生体験記寄稿の求めが今年の初めにあって、他の育英会OBのお坊様方と違って、特に立派な肩書きを持たない一介のスタスタ坊主に過ぎぬ私が、けれど天台宗の正式な僧侶であるという事実と、生涯自由な一修行僧でありたいという願いを込めて、体験論文の原稿提出時に「天台沙門」と記したら、それがそのまま体験集の冊子に印刷されてしまい、あらまあ、人が読んだら気負いと気取りを感じ取られて恥ずかしい限りだなあ、けれど、でもこれはこれで良かったのかなあなどと思ったものだから、「沙門」という言葉について、改めて自分の中で熟成させるべく、今、こんなことを書いている。

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