仏罰とは言うけれど | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

悪い人に罰を当てるお経ってないんですか? と聞かれたので、お経は罰を当てるためにあるのではありませんと、お答えさせて頂きました。

悪人を懲らしめるために罰を当てる神さまというものも、世の中には存在するのかも知れませんが、仏さまは罰を当てたりは致しません、仏罰という言葉もありますが、何故そんな言葉があるのか説明していると長くなるので省くとして、とにかく仏教では因果応報と言って、悪いことをすれば悪いことは必ずその人に帰って来ると考えますが、それは人格神が懲らしめのためにする行為ではなくて、ごくごく機械的で的確な原理に過ぎません。

でも悪い人というのは、罰も当たらず世の中にのさばっているじゃないですかと、その方が仰るので、悪いことをした結果は必ずその人に的確に返って来ています、ただそれは、あなたが思うような形とタイミングで現れていないだけですとも、お答えさせて頂ました。

「悪い人に罰が当たるようにお経を上げる」という行為は、たとえ本人がどれだけ正義感から行っているつもりであっても、「悪い人や自分にとって都合の悪い人に悪いことが起こるように呪う」という行為と同じです。

因果応報、縁起の原理に任せておけば大丈夫ですから、ご自身は理不尽さにさいなまれているよりも、自ら善い行いを重ねるように、暮らしている方が得ですよと、重ねてお答え致しておきました。

      
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                          おしまい。

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