
ブッダの教えと修行の実践方法を分かりやすく敷衍して、現代人に説いて下さったのが、タイの高僧・プッタタート比丘です。
日本人上座部僧の三橋ヴィプラティッサ比丘は、プッタタート師の代表的な著作である「観息正念」と「仏教人生読本」を日本語に訳されました。
呼吸に気づく坐禅瞑想の意味と実践方法の解説である「観息正念」の冒頭に、サンティカーロ比丘の序文があります。
本文の内容の簡潔な要約で、その中に、愛着を離れることについての説明が出て来ます。ざっと抜き出すと以下の如くです。
「坐禅とは不愛着を体現する修行である」
「坐禅の実践の技法にも、また理論にも執着しないことが大事」
「身体の苦痛や、怠惰、動揺、焦り、外部からの邪魔や困りごとへの愛着だけでなく、楽しい感情に対する愛着も存在する」
「それらを手放した時に得られる、洗練された意識にもまた、我々は愛着してしまう」
「それらを手放すことによって得られる洞察力にも、また我々は愛着する」
「さらに、その愛着も取り除き、最終的にはすべてを手放すことを学び、実践する」
「このように、観息正念とは、愛着が消え去るまで、ますます微妙になる愛着を次々と手放していく、秩序だった修行なのである」
我々お坊さんは、仏教用語として、よく「無執着」などと口にし、それを人にも説いていますが、自分自身に染み付いた愛着・執着を引き剥がすことは容易ではないと肝に銘じつつ、私はこの序文をよく読み返しています。
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