今日は彼岸の中日で、仏壇屋さんの「心を込めたお供養を」みたいなコピーを目にすることも多い。お坊さんは彼岸が来るたびに、いよいよ彼岸だなあと思うのだけれど、一般の方はお盆に比べて、どれだけいよいよ、という感じを彼岸に対して持って頂いているのだろうか?
先日、あるお寺さんが彼岸の入りの日に仏具屋で用を頼んで、忙しい時期に申し訳ないですねと挨拶したら、お盆と違ってお彼岸はそれ程でもないんですよと言われたそうな。
さてさて、仏事に対する意識の変化や、経済状況の変化と相まって、家族葬や永代供養墓、納骨堂などが大流行りだが、永代供養を頼んで遺骨をお寺さんに預けてしまえば、後に残った者の負担も軽くなるとの考え、別に無責任だとは思わないが、お寺さんの意識って、どんなものだろうか。
大きなお寺でお坊さんが何人もいて、立派な位牌堂があるお寺でなく、住職だけ、本堂だけのお寺であっても永代供養は成り立つ。では、きちんとした申し込み手続きもあり、立派な位牌堂や納骨堂に納骨してくれているけど、特にお経は上げていません、全体の中で供養されていますから、みたいなお寺だったとしたらどうだろうか。
お堂の仏さんにお性根が入ってますから、という理屈は駄目だ。お経が上がってなくとも供養されている、という理屈を成り立たせるためには、お寺とお坊さんが本当にそれなりの覚悟と意識を持って法務に当たっていなければ。
仏さんに魂が、性根が、精が入っているとかいないとかという表現は、結局、心が込もっているかどうかという一点を表しているのだなあと、つくずく痛感する。
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