雲隠れ願望 | アジアのお坊さん 番外編

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台湾のテレビでニュースを見ていると、しばしば「神隠」という文字が出て来るので、日本語の「神隠し」から連想して、「行方不明」のことかと思って台湾の方に聞いてみると、例えば都合の悪くなった人などが、一時的に身を隠したりすることだそうなので、それならば、今の日本語で言えば、「神隠し」ではなく、「雲隠れ」の方が近い訳だ。

「神隠し」という言葉は、「神が隠す」のか、「神秘的な隠され方」という意味での、副詞的な用法での「神」なのか、柳田國男の「妖怪談義」にも、小児は神に隠されやすいとして、隠れ婆や子取り尼といった妖怪のしわざ、もしくは天狗さらいという事例も見えているが、隠す神の名前がそうやって分かってしまうと、却って怖さが半減する。何のしわざとも知れないのに、子どもの姿が見えなくなるからこそ、「神隠し」という言葉は神秘的だ。

一方で、「雲隠れ」はと言えば、元は月などが雲に隠れることで、転じては貴人の死亡を婉曲に表す言葉としても使われたが、現在では誰かが意図的に自分の姿を隠す場合に使われることが多い。

江戸川乱歩は、「続幻影城」や「探偵小説の謎」といった随筆の中で、犯罪動機としての「逃避」に関連して、「隠れ蓑願望」について語っているが、乱歩の「陰獣」や「影男」といった作品などは、特に「隠れ蓑願望」自体がテーマだとも言える作品だ。

姿が見えないと思っていたら、実は誰にも気づかれず、堂々と目の前にいたり、姿を見せているようでいて実は仮の姿であったりという感覚なら、何だか「ブログ」というツールにも、どこかで通じているような気もするが、ふっとみんなの前から姿が消せたら面白いだろうなと、時折り思ったりすることがあるのは、私だけかなあ?


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   めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月影                    - 紫式部                                                                                                                                    

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