桂米朝師匠 ご遷化のこと | アジアのお坊さん 番外編

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平成27年3月25日、人間国宝でいらっしゃった、故・桂米朝師匠のご葬儀に参列させて頂きました。

それぞれの落語ファンには、それぞれに米朝落語に関する深い思い出がお有りかと思いますが、私も子どもの時に聞いた米朝師匠の「愛宕山」で落語に開眼し、また図書館にあった、当時は児童書としてポプラ社から出ていた師匠の名著「落語と私」を貪り読み、今も文春文庫に入った「落語と私」は座右の書で、もうそれから何回読み返したか分かりません。米朝師匠の書物はどれも、平易で明解であるにも関わらず、論理的に物事の本質を突いていて、なおかつ人情の機微に深く触れた、稀有な文章でした。

数多くのお弟子さん方、各界の関係者各位と共に、一般の弔問者もみな着席させて頂き、米朝師の遷化を見届けました。そう、遷化とは元々、高僧の逝去のみを指す言葉ではなかった訳ですから、ここで使うのも決して間違いではないでしょう。

師匠のご出身が姫路の神社であったことに因んで神式で行われたご葬儀ではありますが、長男で喪主の米團治師が、彼岸の内に亡くなられた方は、高い所に行くように聞きましたと挨拶されたように、真実、ご遷化という言葉がふさわしいお別れではありました。

例えばブッダの入涅槃、即ちお釈迦さまがお亡くなりになった時にもお弟子さんたちを始めとする大勢が駆けつけ、日本でもたくさんのお弟子に惜しまれた芭蕉翁の死をモチーフに「芭蕉涅槃図」が描かれ、そして、当時も芭蕉の死を「遷化」と表現した、白井鳥酔のような人もあったのです。

米朝師匠のお葬式は、正にそんな様々を彷彿させる出来事で、出囃子の鳴り響く中でのご出棺に感慨無量の一般弔問者の皆さまが、ええんやろか、我々まで同じようにこうやって坐らせてもろて、お弟子さんたちにお迎えやらお見送り頂いて、そら、縁もゆかりもない、ということも、まんざらあるような、ないような、と口々に仰るとおり、分け隔てなくお参りさせて頂けました。

落語が好きで米朝さんが好きで、矢も楯もたまらずに駆けつけた私たちが、もうその時点で縁もゆかりもあるものであるとする、関係各位のお心は何より有難く、ざこば師匠を始めとする方々が、米朝一門を今後とも宜しくお願い致しますと何度も頭を下げておられたとおり、引き続き上方落語を愛し、聞き、落語会に駆けつけ、応援し続けることこそが、米朝師匠の残された功績を、次世代に伝えて行く、私たちの縁とゆかりなのだと思います。

                            合掌



※画像は2002年11月の受賞直後に発行されたちくま文庫の帯です。

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