一切の後悔は不要です。
過ぎた事は変えようがありません。あの時、ああすれば良かった、こう言えば良かったと思っても、その時の自分にはそれだけの力量と、縁の持ち分しかなかったのです。今現在から、より良く前へ進む努力をすれば、それで十分です。
後悔が不要だと言っても、悪いことをしておいて、それは過ぎた事だから反省しなくてもいいと言っている訳ではありません。
それは分かっているけれど、しっかりと冷静に反省しているつもりが、いつか心はぐじぐじと、ああでもない、こうでもないと後悔してしまう、後悔と反省の線引きは、どこでするんだと、思われる方もあるでしょう。
それは分かっているけれど、しっかりと冷静に反省しているつもりが、いつか心はぐじぐじと、ああでもない、こうでもないと後悔してしまう、後悔と反省の線引きは、どこでするんだと、思われる方もあるでしょう。
ところが、仏教の基準は誠に明確です。先日、三十七道品のお話をしましたね? その中に四正勤(ししょうごん)という教えがありまして、四正断(ししょうだん)とも言うのですが、簡単に言うと、だいたい以下のような教えです。
・既に生じた悪を助長させない。
・今後、新たな悪を生じさせない。
・既に生じた善を助長させる。
・今後、新たな善を生じさせる。
・今後、新たな悪を生じさせない。
・既に生じた善を助長させる。
・今後、新たな善を生じさせる。
うじうじしたいやな思い出が頭に浮かんだら、以上を心に当てはめてみて下さい。それだけで、すべてが自動的に処理されます。
日本語の「反省」という言葉には、「後悔」に類したうじうじ感が含まれていなくもないですが、四正勤の教えには、冷静にして、かつ事態を前へ向かわせる朗らかさがあると思いませんか?
だから、一切の後悔は無用です。どうぞ、安心して下さい。
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