台湾の苗栗市を訪れる度に、智道法師が住職を務める浄覚院というお寺をお参りさせて頂いています。
智道法師は1927年のお生まれで、幼い時に獅頭山で得度。当時の獅頭山は塔頭十八洞を有する大寺院で、智道法師は塔頭の一つである尼寺の萬佛庵に預けられて十九歳で具足戒を受け、正式に比丘尼となられました。日本統治時代に習い覚えた、きれいな日本語をお話になる尼僧さんです。
今回も旧知の台湾人、彭雙松(ほうそうしょう)先生の案内で、面会させて頂きました。以下、心に沁みた智道法師のお言葉を列挙します。
「私はおしゃべりじゃない。でも仏教は、人によって広まるのでしょう。じゃあ、私はしゃべらなきゃいけない」
「今日は写真を撮るのはやめましょう。教えだけを伝えます」
「仏教の教えも宗派に分かれると、「私」「私」の利己主義だ。何と申しましょうか、仏教はお互いに、お手々つないで、同じでなければいけません。我利我利亡者はいけません。よく修行した人だけが、はじめて本当の仏さまの教えを知るのです」
「坐禅の中にも念仏があります。坐禅をしなくても、念仏の中に身心の一致があります。心と身体が一致するのが本当の修行だ」
「世の中の人は、阿弥陀さまにお願いすれば、西方極楽浄土に行けると思ってる。そうじゃない。自分の心が阿弥陀さま。自分の心が仏心だ」
「(彭先生に、いつまでもしっかりされてますねと言われて)出家の人は、空想・妄想・雑念がないから、ぼけないの。でも年齢(とし)がいくつかは構いません。仏教の修行こそが、価値です」
「(何年たっても、お姿が変わりませんねと言われて)変わります。変わります。(自分の身体を指して)これはにせもの。借り物。仮の物。変わります。「無常」です。体は変わる。皮膚も変わる。年齢も取る。でも、心は変わらない。仏心だ」
日本統治時代を知る人に喜んで頂けそうな日本のお線香とお菓子を、お寺へのお供えに用意していたのですが、直前にお菓子が純精進素材でないことが分かり、お線香だけをお渡ししたら、お別れする時に、彭先生からそのことを教えられて、「そのお菓子の心を有難う」と仰って下さいました。是非また次回もお会いして、お教えを仰ぎたく願います。