1963年にベトナム人のお坊さんが抗議の焼身自殺をしたニュースは世界中に衝撃を与えたそうだが、私はこの事件をリアルタイムでは知らない。
30年後の1993年にもベトナム人僧侶が抗議の焼身自殺をしているのだが、まだその頃の私は、アジアや仏教に関する詳しい知識を持ってはいなかった。
2009年2月に四川省アバ・チベット族・チャン族自治州アバ県でチベット仏教僧が焼身自殺している。
2011年3月、8月、9月、10月などには、四川省アバ及び隣接する四川省カンゼ・チベット族自治州でチベット仏教僧の焼身自殺が相次ぎ、20111年11月現在、両県併せて20人近くのチベット人仏教僧・尼僧が焼身自殺している。
ところで、自分が10代の頃に、社会が悪い、親が悪い、大人が悪いと批判する同世代の若者たちを見たり、そんな内容の歌を聴いて、最終的にすべては自分の責任だろうに甘えたことをと思ったものだ。
ただ、確かに環境がどうあれ、自分の意志で世界を変え、状況を打開することは可能だが、外部の社会状況、世相や経済条件、政治体制などが、気づかないうちに、個人の性質や思考パターン、行動様式に影響を与えることもまた、有り得るだろうということを、今となっては思うようになった。
さて、不殺生戒に触れるから、仏教では自殺を禁じているという説もあれば、決して積極的に自殺を勧めていないとは言え、仏教では明確に自殺を禁じている訳ではないという人もいて、仏教における自殺という問題は、しばしば議論の対象になっている。
そうした議論はともかくとして、私はごく単純に言って、自殺という行為が仏教徒にとっての正しい務めだとは思わないが、ある限られた同じ地域でお坊さんの自殺が相次いでいるという現象は、明らかに何らかの社会的状況を表す、大きなサインに違いないとは思う。