「衣鉢を継ぐ」という言葉を辞書などで引くと、たいてい「宗教・芸術・学問などの奥義を継承すること」などと書かれているのですが、私は子どもの頃にミステリが好きだったものですから、よく文庫の解説などに、「この作風はポオの衣鉢を継ぐものだ」とか、「黄金時代の英米本格ミステリの衣鉢を継ぐ作品」みたいな表現に馴染みがあって、少し違ったニュアンスで、この言葉を捉えていたものです。
それはともかくとして、「衣鉢を継ぐ」という言葉が、お坊さんの世界で、師匠が弟子に法を伝えた証しに三衣一鉢(さんねいっぱつ)を譲渡することに由来するのは、有名な話です。
そして…タイの高僧・プッタタート比丘の日本語訳に取り組む日本人上座部僧・三橋ヴィプラティッサ比丘は、「仏教人生読本」「観息正念」の改訂CD版を完成させた今、身辺の大整理とて、常日頃から仰っておられた簡素な生活をさらに推し進めるべく、努力中とのこと。
この大きな仏教辞書も、もう私には必要ないから、これも、あれも、もしお役に立てて下さるならばと仰って、私宛てに送って下さいます。
そして托鉢用の鉢と衣と頭陀袋。上座部比丘はお供養で、しょっちゅう新しい鉢や衣を頂きます。そうした衣鉢の一組でしょうか、それともまさか、私が初めてインドのブッダガヤに赴任した時、ガヤの駅までお迎えに来て下さった三橋師が身に着けていた、一番着慣れた黄衣であったら…。
いいえ、そんなはずはありません。私にはまだ衣鉢を継ぐだけの器量も持ち分もなく、師にはまだ、取り組んでいただきたい課題が山積みです。
今年から来年にかけて、プッタタート比丘の「空の法」を翻訳すべく、師は精魂を傾けておられるとのこと、我らと衆生とみな共に、一切皆空の仏道を成ずるために、まだまだ法を、説き続けて下さい、三橋師。