お寺で食事を頂く時に唱える斎食儀という食事の作法があって、その中に「若飯食時 当願衆生 禅悦為食 法喜充満」という言葉が出て来る。仏法に適った、正しい作法の通りに食事を頂いたなら、身体に喜びが満ちて来る、といった意味だ。
法喜も法悦も、今では「大きな喜び」を表す一般的な日本語になっているが、元は仏法に出会った時や、仏の教えを理解した時の、類まれな喜びを表す仏教語だ。
アーナパーナ・サティ瞑想を解説した、プッタタート比丘の「観息正念」には、瞑想が進めば自然に体内に生じて来る「喜び」をコントロールするステップのことや、さらにもっと先のステップでは、仏法(ダンマ)に出会い、苦(ドゥッカ)を消滅させることによって、善い心=「喜び」を生じさせるステップのことが出て来る。
それらは皆、日本仏教で言うところの「法喜」のことなんだなあと、食事作法の偈文を唱えるたびに、感慨深く思う。