インドの小僧さん | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

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 インドにはいろんな国のお坊さんがいっぱいです。インドでは仏教が一度、衰退し、今は1956年以降のアンベドガル博士に始まる新仏教徒の一派が存在するだけだ、などと日本語の本にはよく書いてありますが、実際は他にもベンガル仏教会などがあって、ここで出家した日本人上座部僧も何人かおられますし、インドには各国のテラワーダ(上座部)仏教やチベット仏教が混在していますので、事情はなかなかに複雑です。

 ともあれインド人仏教徒に関しては、日本では主に仏教徒に改宗した民衆に視点を据えた、政治的な観点から解説されることがほとんどです。インド人仏教僧たちが実際に何を考え、どんな修行をし、どんな生活をしているのかを、新仏教徒の苦しみと誇りと闘いを誰よりも理解しているかのような口ぶりの日本の学者さんたちは、果たしてご存知なのでしょうか?

 さて、4,5年前にブッダガヤの大塔で出会ったインド人の小僧さんは、大塔の近くに寄宿していて、早朝から大塔のお勤めに参加して、午後は大塔の境内の木陰に佇むという毎日です。

 仏教の本が欲しいけど買えないんです、英語ではなく、ヒンディー語の本がいいんですと、小僧さんがねだります。私がお供養で頂いて食べきれないお菓子や食べ物を、改めて彼にお供養すると、周りの小僧さんたちを呼び集めて、一瞬に等分に分け与えてくれました。

 出身は? 親は今、どこに住んでいるの? と私が聞いたので、一瞬、彼の顔が寂しく陰ったじゃないですか、一番聞いてはいけない質問ですよと、近くにいた知り合いに、笑って諭されました。

 1,2年前、大塔でまた彼に会ったら少し大人びて、少年ながら、もう青年僧と言っていいくらいの面影が見えました。インド人は子供の時は可愛らしく、おじいちゃんになると哲人めいた風格になりますが、若いインド人にはギラギラと、生々しい人が多い気がします。

 けれど彼はまだまださっぱりと、凛々しく成長しているように見えましたので、どうかここのまま真っ直ぐに、インド仏教を担って行ってくれればと、秘かに願ったことではありました。

                             おしまい。