お堂の話 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

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 台湾の獅頭山というお寺に「勧化堂」というお堂があるのだが、ここを訪ねた日本人の方のサイトなどを見ると、誤って「権化堂」と書いておられる方が多い。「権化」の方が仏教用語っぽいからなのか、或いは「権現堂」という言葉を連想するからなのかは、分からない。

 

 「権現」(ごんげん)とは、仏が権(かり)に神となって現れたという意味の神仏習合用語なので、基本的には現在、神社側からは使用しない言葉なのだが、お寺と神社が並んでいる、昔ながらの素朴な村では、今でも神社のことを「権現さん」と呼んでいたりするし、昔のお寺を描いた絵図などを見ると、境内の神さまの社が、「権現堂」として、お寺ののような形に描かれていることも多い。

 

 「お堂」はどちらかと言えば、お寺の施設を指す言葉だ。神楽を舞う巫女さんの人気を囃した、「弁天の ようだと流行る 神楽堂」という江戸川柳があるが、もしもこれが神仏習合時代でなければ、「天人の ようだと流行る 神楽殿」とでも詠まれていたことだろう。

 

 余談ながら、神社境内で「お堂」と呼ばれている建物と言えば、私は子供の頃から聞き馴染んだ、上方落語の「崇徳院」に出てくる、高津さん(高津神社)の絵馬堂を思い出す。これも今は「絵馬殿」と呼ばれていることだろうと思って調べてみたら、こちらは今でも「絵馬堂」と呼ばれていることが分かって、ちょっと嬉しくなった。

 

 お坊さんになる前、学生時分のことなのだが、普通の下宿ではなく、お堂に住んでみたいと思って、空き寺らしきものを見つけて頼みに行ったことがある。結局、交渉はうまく行かなかったのだが、その後、念願かなって私はお坊さんになり、何度か庵や空き寺に住むことが出来た。

 

 それでも、神仏習合的な昔話の世界に暮らしてみたいと考えて、純粋に「お堂」に憧れていた頃を思い出すからなのか、今でも「勧化堂」のように「お堂」と名の付く建物を見ると、ちょっと胸がときめいたりする。