男は度胸で女は愛嬌。昔の人はうまいことを言うなあと思います。
ところでプラ・ユキ・ナラテボー師の2冊の著作、前著の「気づきの瞑想を生きる」と、最新刊の「苦しまないで、いいんだよ。」には、どちらも「善友」のことが載っています。
そして、善き友とはどんな人かという説明の1番目に挙げられているのが、「愛らしく、親しみが感じられる人」なのですが、これに関して、どうして愛らしいことが重要なのか分からないと、ブログに書いておられる方がありました。
「愛らしい」という言葉を聞いて、見た目が可愛くて愛くるしいという意味だと思われたのでしょうか? 人のブログに対して、とやかく言うのも失礼かと思って、そのまま忘れていたら、最近、男女に限らず、愛嬌のある人は得だなあと思うことが、何度かありました。
「愛嬌」を「愛敬」と書くと仏教っぽさが分かりやすいかと思いますが、要は心が整い出すと、自然と人柄にはひねくれたところがなくなって、愛敬が備わって来るということです。
不愛想に見えて本当は優しいとか、豪快で言葉は荒っぽいけど、実際にはいい人だとかは、仏教的にはNGです。大人なのにひねていなくて、愛敬のある人って、素敵だとは思いませんか?
「愛らしい」とは、そういう意味です。