子どもの時、学習雑誌で恐山の記事を読んでは、一人おびえたものです。何が怖いと言って、「恐山」という、その名前がもう怖い。「イタコ」などという、言葉そのものが怖い。恐山という名前が「宇曽利」というアイヌ語に由来すると聞いたって、怖いものはやっぱり怖い。
水木しげる氏が「ゲゲゲの鬼太郎」の中で、恐山の地下には妖怪病院があるとしたのも、恐山という名の怖さがあればこその、発想だったろうかと思います。
さて、それから何年もして私はお坊さんになり、ついに恐山を訪ねて、イタコに口寄せをしてもらいました。若くして亡くなった私の姉がイタコの口を借りて、わたしは元気にしているから、おまえもお父さんお母さんを大事にしろよと言ってくれたのですが、いかんせん、私たちの父は姉が亡くなるよりもずっと前に死んでいるのですから、姉さん、それは無理だ、父はそっちにいるだろうと詰問するのも気の毒なので、やめました。
この一件を以ってして、イタコの口寄せなんて他愛のない迷信だなどという気はさらさらなくて、それは私がいつかアジアのお寺で修行することを夢見て、今は日本の神社仏閣霊場を、フィールドワークを兼ねて巡礼しようと思っていた時期のことなので、この世の怖いことや不思議なことは、それが実在しようがなかろうが、すべて自分の心次第だと思い始めた頃でしたから、私は子どもの頃からその名を聞いた、恐山のイタコに出会えたことに、とても満足なのでした。
時は真夏、子どもの頃、何をそんなに恐れていたのかと思う程、恐山の空は抜けるように青く、宇曽利湖もまた透き通るように青い、その美しい光景も、イタコの口寄せも何もかも、今は懐かしい思い出です。
おしまい。