島田裕巳氏の近刊、「葬式は、要らない」(幻冬舎新書)は、既成仏教と伝統葬儀を批判した本なのだが、最近ではもう目新しくない事柄を意気揚々と論じる内容には、賛否両論があるようだ。
さて、私も日本の葬儀の簡素化は、もう避けられない流れだと思うし、今はまだ過渡期で、ぎこちない改革であっても、いずれ整理統合されて、葬儀のあり方が変わって行くのは必至だとも思う。
ただ、「葬式仏教」批判と同時によく出て来る、「戒名を自分でつける」という発想が、良く分からない。戒名はあくまで、仏教に入信した証に、導師が授けるものだ。なぜ、自分でつける必要がある? 法外な金額の戒名料はけしからん、けれど戒名がないと成仏しない、と思っているわけか? 仮にそうなら、自分でつけた戒名に、成仏の効力があるとでも思うのか?
既成仏教に批判があるなら、戒名も要らないときっぱり言えばいい。葬式戒名なんて日本にしかない問題だと言いながら、なぜ戒名にこだわるのか? 戒名を自分でつけるという項目を目玉にしているだけで、「葬式は、要らない」というこの本の、程度が知れるというものだ。
この本には書いてないが、「仏教が葬儀に関わるのは、世界的に見ても日本だけ。ブッダは葬儀に携わらなかった」的な批判に関しても、世界の仏教事情を知らない人の勝手な理屈だと思うが、これに関しては、いずれ稿を改めたい。とりあえず、調子良く批判するのは簡単なので、既成仏教界の側はよくよく注意して、自己改革に励まないと、世間は調子良い批判を鵜呑みにしやすいものだ。
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