タイで修行できることが決まり、私は作務衣に小さな小さなバックパック一つでバンコクのお寺に着いた。出迎えてくれたタイのお坊さんに、荷物はそれだけ? と聞かれてちょっと嬉しかったけれど、執着を捨てるためにお坊さんが最低限の荷物で暮らすものならば、荷物の少なさを自慢しているようでは意味がないなあと、ずっと後になって思ったものだ。
お坊さんの持つ頭陀袋が、托鉢行脚を旨とした、簡素な暮らしを心がける頭陀行に由来することは、ホームページ「アジアのお坊さん」の「アジアの頭陀袋」に詳しく書いたが、お坊さんに限らず、旅の荷物は少なければ少ないほど良いと思う。
小汚いなりをして荷物の少なさを競っているバックパッカー、なるものが、今も存在するのかどうかは知らないが、反対に西洋人の中には、自分の背丈ほどのバックパックを背負っている人も多い。
タイのお寺で得度して、インドネシアやカンボジアを巡礼した時は、本当に頭陀袋ひとつで旅に出た。テラワーダの黄衣はまさしく糞掃衣(ふんぞうえ)だ。汚れてくると、床を拭く雑巾にしたりする。下着は身に着けないから洗濯物は少ないし、衣は一枚布だから、すぐ乾く。熱い国から熱い国へ旅するだけなら、脱いだ衣はシーツにもなる。エアコンの効きすぎた長距離バスに乗る時も、衣をブランケット代わりに、頭陀袋をちょこんと膝に乗せて寝たりした。
お坊さんの行脚とバックパッカーの旅は違うけれど、私は日本の高速バスで移動する時も、テラワーダ僧として巡礼した時のことを思い出すし、日本であれ、海外であれ、バックパックを担いだ旅行者を目にすると、無条件に胸が熱くなる。
※ブログ四国遍路とバックパッカーもご覧下さい!!