日本文学とお坊さん 1…古典文学からミステリまで | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

 日本文学とお坊さんというテーマを考えた場合、明治以前の古典文学には出てきて当り前なぐらいにお坊さんが出てくるが、とりあえず挙げてみると、「源氏物語」の横川の僧都、「平家物語」の文覚上人、謡曲に見える諸国一見の僧、江戸時代の「一休咄」、「雨月物語」の一篇「白峯」における西行法師、お坊さん文学の「方丈記」「従然草」、「今昔物語集」を始めとする中世の説話集などが思いつく。
 
 明治以後だと怪異伝説を好んだ泉鏡花の作品には「高野聖」や「草迷宮」を始めとして、旅のお坊さんがよく出てくる。他には「たけくらべ」の竜華寺の信如や「滝口入道」、「出家とその弟子」などもある。

 戦後だと禅寺で育ったという水上勉の諸作品があるが、悪いけど本当に陰気な陰気な話ばかりだ。また三島由紀夫の「豊饒の海」に出てくる聡子は出家して月修寺の門跡となった。全4巻に渡って唯識思想が繰り広げれられるが、別に仏教徒が読むべき文学と言うほどでもない。ちなみにタイやインドが出てくる第3巻の「暁の寺」だけがバンコクやカルカッタのゲストハウスや古本屋に置いてあったりするが、これはやはり全巻通して読まないと意味がわからないのでは?

 今東光師の時代から最近に至るまで、出家したり、仏教に接近したり、もともとお坊さんだったりという作家が増えているが、ことさら優れたお坊さん文学というものは見当たらない。

 ミステリで有名なのは、江戸川乱歩「一寸法師」の養源寺の和尚、横溝正史「獄門島」の了然和尚などが思い浮かぶぐらいだろうか。京極夏彦「鉄鼠の檻」は禅僧が殺されていく中で禅や仏教に関するウンチクが繰り広げられるので、これは珍しくお坊さん文学と言えそうだが、いかんせん、とにかく長い。ファンや著者自身にはにはそれが魅力なのかも知れないが、チェスタトンならウンチクも込みで、文庫本20ページほどの短編にまとめただろうにと思ってしまう。お坊さんでもこのウンチクに翻弄されて、「我々専門家から見てもまあ良く書けている」的に偉そうに評価して何とか体面を維持してる人がいるが、如何なものでしょうか?