ALIEN3 (1992)
今年は久しぶりに『エイリアン2』を観たのをきっかけに
エイリアン・シリーズのブログを書きましたが、
『3』のブログをまだUPしていなかったので
どうせなら今年中にUPしたいと思って久しぶりに観ました。
アメブロでブログをまだ書いてないということは
おそらく十二年以上ぶりに観たことになります。
どうせなら完全版を観てみたい気持ちがありましたが、
DVDを買うお金の余裕がないのと、
とりあえず劇場公開版を観ておかないと
完全版でどこが変わったかが分からないと思って
すでに持っていた劇場公開版を観ました。
いずれは完全版も観るつもりです。
【ウィキペディアも参考に振り返ります】
まず2つのポイントから書いておくと、
本作はデヴィッド・フィンチャーの劇場映画初監督作であるのが今となっては最大のポイントで、
主人公リプリーを演じるシガーニー・ウィーバーが製作にも名を連ねているのも大きなポイントです。
お馴染みの20世紀FOXのファンファーレが
不穏なメロディーに変わっていく出だしから
観客はこの作品世界に堕ちていくことになります。
前作でリプリーが必死の思いで助けた女の子ニュートと兵士のヒックスが死ぬという
衝撃のオープニングタイトルでいきなりドン底まで落とされます。
前から言っているように
ボクは主要人物を殺して物語を進める手法が嫌いで、
そういう意味では本作は最悪のスタートとも言えるんですが、
フィンチャー監督が構築した独特の世界観に惹き付けらることで、
これも好きなエイリアン作品になりました。
そもそも『2』が面白過ぎたんですよね。
同じくジェームズ・キャメロンが関わった『ランボー2』『ターミネーター2』も
そのエンタメ性の高さゆえ次回作の『3』作りに苦労していたように見えました。
『2』以上のアクションを描くのは無理やったと思うので、
一作目に回帰したような展開にしたのは正解やったと思います。
限定された空間で一匹のエイリアンと戦うという基本プロットがまさに一作目のそれですが、
今回の舞台は一作目の宇宙船に比べると中途半端にフィールドが大きいので、
限定された空間というサスペンスは弱まっています。
クライマックスでエイリアンを追い込む作戦のシーンは
何回観ても位置関係が分かりません。
ここはマップとかを出してほしかったと今回観ても思いましたね。
ただ本作、エイリアンと人間の戦いがメインという感じではないことこそが重要なポイントになっています。
舞台になるのが囚人たちが暮らす惑星で、
囚人たちの言葉や音楽で、非常に宗教色(キリスト教)の強い作品になっているのが
今観ると、より強烈な作品の個性に感じられました。
エリオット・ゴールデンサールによる音楽が
前二作とは違う感じで 本作ならではの雰囲気を醸し出していて素晴らしいです。
この 十字架にしか見えないシーンにもキリスト教が象徴されてる。
シリーズを何作か連続で観たあとに観たこともあってか、
舞台になる施設がウェイランド・ユタニ社のものであることの
物語上の重要性を昔以上に強く感じました。
生物兵器を欲しているウェイランド社が
エイリアンを得るためには人間の命を何とも思ってない
あくどい企業であることがシリーズで一貫しているところです。
企業が人を人とも思わない酷い構図は
三十年以上経った現代でも残っています。
本当の意味で幸せな労働者はホワイトな大企業の人たちだけな気がします。
まぁ やっかみもあるかもですが。
一昨年の夏以降特に 会社からの扱いに不満を持っているボクは
本作における囚人たち、囚われた人たちと
その囚人たちのための流刑惑星・労働惑星という舞台が
絵空事には見えませんでした。
ボクもまさに企業に囚われている人間やからです。
そういう気持ちで観ていると
囚人たちが神にすがろうとする姿がより自然に見えました。
囚人たちの惑星やから武器を置いていないことで
サスペンスが高まる展開もよかったと思います。
リプリーと気持ちが通じる医師を演じたチャールズ・ダンスが凄くいい感じなだけに、
中盤であっさりエイリアンに殺されるシーンは何回観ても驚いてしまうんですが、
同じく重要キャラの一人である所長も早い段階で殺される展開は、
今冷静に考えたら、
本作はあくまでもリプリーが主役であることの裏返しと思います。
ウィーバーは本作で製作もしているので
ウィーバーが了解した脚本なのは間違いない。
ハリソン・フォードやダニエル・クレイグが自身が演じる映画史に残る人気キャラクターの死を望んだのと同じく、
ウィーバーも役者としてリプリーの死を願い、
本作に全身全霊を捧げたんやと今回強く思いました。
そう捉えると衝撃的な冒頭の展開も飲み込めます。
結局またウィーバー演じるリプリーが登場する『4』が作られますが、
本作の低い評価が本意じゃなかったウィーバーが復活によってシリーズを再生したかったのかもしれません。
今となってはフィンチャー監督を起用しただけでもウィーバーのプロデューサーとしての才は確かやったと言えます。
撮影現場ではフィンチャーとトラブルがあったそうですが、
劇場映画初監督作でもフィンチャーが色々こだわったであろうことは想像に難くありません。
今や現代映画界において最高の映画監督の一人と言える
フィンチャーの映画デビュー作というだけでも本作の価値は後年上がったと言えるでしょう。
この頃は配信サービスの作品を撮ってるのは個人的には残念。
既存の映画会社には フィンチャーが撮りたいと思う環境を整えて欲しいです。
当初は配信サービスに懐疑的やった大物監督たちもこぞって配信会社で新作を撮っている事実を大手の映画会社は肝に銘じるべきです。
宗教色が濃いところはブレイクしたフィンチャーの次回作『セブン』でも継承されていました。
妥協を感じないセット撮影なども見事です。
ヒックスとニュートを溶鉱炉で火葬するシーンと
エイリアンの成体の誕生シーンを交互に見せる演出もどこか象徴的。
死者を弔っているつもりが
知らず知らずのうちにエイリアンの誕生を祝福してるかのように見えてしまう皮肉さ。
まさに人生何が起こるかわからないという皮肉と恐ろしさ。
信仰心を描きながらも、結局は実際の行動に移さないと人生は救われないと、
何気なく表現しているのもいい。
少し残念なのは、公開当時に観ても 特殊映像がいまひとつなシーンがいくつかあったところ。
大御所リチャード・エドランドがヴィジュアルエフェクトを担当しているとは思えないシーンがあります。
ただ、アレック・ギリスが担当したと思われるエイリアンのアニマトロニクスの出来は素晴らしいです。
直接的な描写はそんなになくても、
フィンチャーらしいグロさがあるのもいいです。
『エイリアン』シリーズは20世紀FOXが『スター・ウォーズ』の大成功を受けて製作したSF映画ですが、
あくまでも本流ではないノリが好きですね。
そういう意味では本作は紛れもなく『エイリアン』シリーズらしい作品です。
『2』の流れを汲んだアクションにしたら傑作の『4』は生まれなかったでしょうから、
結果的にもこの『3』の作風は正解やったと今さらながら確信しました。
リプリーがスキンヘッドになったビジュアルも鮮烈やったし、
設定上というより、今ではウィーバーの本作に対する覚悟を感じます。
チャールズ・ダンスがアッサリ死んでしまうのは今観ても残念な気がしましたが、
囚人たちが個性的なメンツが揃ってるのがいいです。
ここらへんはキャスティングのセンスですね。
囚人のリーダー的な存在を演じるチャールズ・S・ダットンもいい味出していますが、
自身も服役していた経験があるそうです。
凶暴犯とは思えない思慮深さを感じる役柄には本人も思うところがあったのかもしれません。
短い出番ながらもランス・ヘンリクセンもさすがの存在感。
『エイリアンvsプレデター』にも出てたから、
今さらながら『2』での起用は大正解やったと思います。
考えたら『エイリアン』と『AVP』の両方に出てるのはこの人だけでは?
ウェイランド・ユタニ社が両シリーズに登場することで
パッと見 全てが同じ世界観に見えるのがいいです。
この、エイリアンを押さえつけてるシーンが
今回は胸に抱いてるかのように見えました。
リプリーがまるで
エイリアンとの運命を受け入れているかのように―。
そして、
エレン・リプリーと決別したシガーニー・ウィーバーの強い意志を
その後の復活を見た後でも
今の方がより強く感じました。
一作目のラストに戻って
リプリーの物語を閉じたのも見事で
強く印象に残るラストでした。
本作の冒頭の展開を受け入れたとはいえ、
正直いまだにニュートが死ななかった流れの続編を観たい気持ちはあります。
そういうリブートの仕方も今ならアリやと思うし、
ウィーバーの若いリプリーをCGで描くことも可能になるでしょう。
まぁ ウィーバー本人が許可しなさそうやけど。
結局、ウィーバーもやる気を示した『5』が実現しなかったことで
逆に想像の余地が広がって、
久しぶりにこの『3』を観ても色々と思いを巡らしたくなるのは
このシリーズが持つ魅力ゆえなのかもしれません。
そろそろ今年も終わりますが、
今年はエイリアンシリーズをガッツリ振り返ったことで
あらためて映画の面白さを実感できた年になりましたね。
リプリーは出てきませんが
来年公開予定の新作が楽しみです。
BOXの特典ディスクの封も開けてなかったことに今さら気づきましたが、
この裏ジャケのリドリー・スコット監督の言葉に尽きるかもしれません。
「(H・R・ギーガーの)デザインを見たとたん
“これだ” “これしかない”と思った。
これまでの人生であれほど確信を持ったことはない」