Wコウジが好きな人には「快傑コウジ園」や「今ちゃんの中野探検隊」でお馴染み、現在は東京吉本に所属する芸人、そして風俗店のキャストとして二足のわらじで活動する友野英俊さんにインタビューを行いました!
(2003年発刊「若手芸人パーフェクトカタログ」より)

-元々「4時ですよーだ」の頃にダウンタウンの楽屋に遊びに行っていたという話を聞いたことがあるのですが。

友野:田舎者でミーハーなもので、サインが欲しくて勝手に楽屋へ入って行きました。

-ダウンタウンのお二人はすんなり受け入れてくれたんですか?

友野:生放送後で大変お疲れだったと思いますが優しく対応してくださいました。こちらは中3の終わりから高1だったので、殆どまともな敬語も使えないまま緊張いっぱいでしたね。

-どういうお話をされたのでしょう?

友野:いつも番組で見ていたお二人の楽屋にいるのが嬉しくて頬がゆるみ微笑みたいけど怒られたらどうしょうとか感情の綱渡りをしながら、失礼のないように慎重に会話をしていたつもりだったと思いますが…。「まっつんサインちょうだい」「ハマチョンも」というそんな感じの事を。

-あのダウンタウンに「まっつん」「ハマチョン」と!!

友野:田舎の素人まるだしな厚かましい言葉遣いで何度も楽屋へ勝手に入ってましたが、お二人は一度も怒ったりなさらず毎回世間話などたくさんの話をしてくださいました。

-ダウンタウンは一般人との距離感に厳しかったイメージがありますが、凄いですね!

友野:お二人からみると、自分は本当に田舎者まるだしで丸坊主で緊張し下だけ見ていたから話掛けてくれてたと思います。田舎者なので、厚かましく話しだすとニコニコして答えてただけで、その辺の子供に話してくれているような感じと思います。

-そもそも楽屋に入り浸るきっかけは何だったのでしょうか?

友野:番組では素人飛び入りコーナーみたいなのが毎日あって、一度だけオーディション受けに行きました。オーディションは受かりましたが、生放送で時間がなくなってしまい結果出れませんでしたが。

-番組自体には出演されてないんですね。

友野:舞台袖で出番順に並んでスタンバイしていると自分の番でADさんが来て「ごめんね、このまま番組エンディングで終わるから申し訳ない!また来てね!」と番組Tシャツを貰い終了。

-あと一人のところで。

友野:そのまま番組は終わり、袖にいた自分の目の前をダウンタウンのお二人が通り、楽屋へと入って行く姿を見て、スタッフさん達もバタバタで誰もいなくなったので、そのままお二人の楽屋へ勝手に入って行ったのが出会いとなりました。

-そんな友野さん自身が吉本入りする事になったのは?何故、東京事務所だったのでしょう?

友野:田舎者というのがあり個人的に東京には強い憧れを抱いていました。東京は俳優、ミュージシャン、など本物の凄い人がいるところという印象でしたので、東京のお笑いに関してもそんな風に思っていました。

-笑いとしては東京の方が好きだったんですね。

友野:東京のお笑い事務所へ手紙や電話で話を聞いていただいたら「月に一度、赤信号リーダー主催の新人コント大会というのがあるので素人コーナーに出てみるのも一つの手段ですよ」とアドバイスをいただいて。

-ラママでやってるやつですね。

友野:新人コント大会には、東京のお笑い事務所マネージャーが見に来ていて、面白い人には声掛け事務所預かり(スカウト)とか、事務所との繋がりが出来るという事を教えていただきました。そうして東京へチャレンジという気持ちで新人コント大会に連絡し当日ネタ見せで出番を貰いました。

-そこで今も活躍されている芸人さん達との出会いもありつつ。

友野:翌月、東京2回目のチャレンジの時には東京で部屋を探し、決めてきました。そして、東京上京の日に、新幹線に乗り遅れてしまい焦って立ち往生していたら、偶然にも、東京から大阪最終にダウンタウンのお二人が乗られていて会うことが出来、東京へ出る御挨拶しました。

-そして、いよいよ東京吉本に入るわけですか。

友野:ちょうど週刊誌ヤンマガの告知ページにあった「東京吉本野沢直子の弟分募集」という記事を見て、それに応募したというのがきっかけです。野沢さんが司会と審査委員長で。そこで優勝させていただき所属となり、90年4月CX「いただきます」レギュラーで仕事が始まります。

-「いただきます」で共演された小堺一機さんの印象はどうでした?

友野:アルタの番組終わりは、毎回20分くらい小堺さんが後説で漫談をなされていて毎週楽しみでもあり大変勉強させていただいてました。

-元々小堺さん、及びコサキンはお好きだったんですか?

友野:当時の水曜コサキンスーパーギャング等も聴いてました。

-スーパーギャング(無理矢理100%)聴かれてたんですか!

友野:伝えようとしているものが見えてきた時はラジオならではの素晴らしい最高値のものがあると思います。コサキンはユニットというくくりも東京ぽくて凄いと思います。
(コサキンにはHi,how are you?原田さんやキーマカリーズのゴツローさんなど平成生まれのミュージシャンからの支持も多い)

-「いただきます」の後は「お笑いウルトラクイズ」以外だと銀座七丁目劇場への出演やそれと連動した番組が主だった感じでしょうか?

友野:銀座の開館により劇場発信の番組制作は多かったと思いますが、別件で「いただきます」時のADさんが制作事務所で偉くなりTBSの「マガ不思議」やテレ朝ロケもので使ってくださったりと有難い話も御座いました。

-「今ちゃんの中野探検隊」の中では番組内での活躍が認められて「マガ不思議」の出演が決まったような形になってましたが、そういう繋りがあったんですね。

友野:「なるほど~!」のおかげでテレ朝の新喜劇ベースの番組で、なるほど署のなるほど刑事で出演する事も出来ました。
(「今ちゃんの中野探検隊」より)

-「踊るほっとけさん」ですよね。あそこでの友野さんは最高でしたよ。「ナルホド~」以外にも「バカだねぇ」「正直ムカついてきました!」などのギャグも面白くて。

友野:同じく「ナルホド~」で、夕方のNEWS番組内にある情報コーナーでも「なるほど」と感心するスポットのレポーターもいただきました。

-「今ちゃんの中野探検隊」もそうですが、テレビにおける友野さんというとやはりWコウジとの番組が印象深いです。中でも「快傑コウジ園」は代表作と言っていいのではないでしょうか。印象に残っている回などありますか?

友野:どういう筋立ての企画かはすっかり忘れてしまいましたが、アメリカンフットボールをする企画ではロケものらしい最高値の笑いがあったと思います。実際の選手達の中に混ざるので1タックルされるだけで、まるで自分がボールのように飛んでしまうとか凄まじさは恐怖そのものを経験させていただきました。放送はあっという間のものでしたが内容はあったかと思います。

-KOJI12000の「DUET!!」宣伝企画ですかね。確かにあの回めちゃくちゃ笑った記憶あります。

友野:有難う御座います。そういったテーマ内容でした!考えると時代もテレビもまだまだエネルギッシュだったと思います。

-私個人としては「快傑コウジ園」は生涯最高に面白かった番組なんですよ。

友野:先輩達との収録の現場は勿論のこと、普段の私生活においても大変学びになっていったと思っています。自分自身の経験したことや考えてきたことを認めてもらいたいということから必死で組み立てて現場に挑んでかかりましたが、先輩達の表現からみれるキャリアの重みというのはいつも素晴らしいものがあります。その独創性の源はどこにあるものかと番組スタッフさん達らと感心してきました。

-Wコウジとの番組で確実に存在感を示し、ブレイク間近のように見えましたが、一時を境に露出が途絶えました。

友野:時代もやがて暫くしますと、新宿の劇場(新宿ルミネ)開館ということになっていき、そこは関西のように若手から大御所迄が出て、新喜劇とかも出来て、人員配属されていきます。そこで東京に憧れを持つ自分には関西の劇場スタイルが肌にあわないのでは?ということで非常に悩んだ結果、出ない事にしました。

-ではその頃何をされてたのでしょう?

友野:新宿の新しい劇場に参加しない分、出来た時間は絵画教室に通うとか乗馬をするとかして自分の新しい趣味時間に費やしていました。

-2000年代半ば、mixiでは「あの人は今?」のような存在になっていましたよ。

友野:その頃は出てた番組も終わり趣味時間が大半をしめ、前説程度となっていました。「あいつなにやってるんだろうか?」となっていったのはその頃からではないかと思います。銀座の劇場時代にいつも応援くださってたお客さん達からもよく言われました。

-そして、次に友野さんのお名前を目にするのがご結婚、更にその次は離婚のニュースでした。離婚後の活動というのはどういった状況だったのでしょう?

友野:そのうちに前説業すら全て無くなり、生活内容もだんだん落ちぶれていきました。趣味にかけれた事も節約しだし、部屋でだらだらした時間が増え、気が付いたら日課はコンビニ弁当選ぶだけの単調な生活になってたという感じです。

-当然、経済的にも辛くなりますよね。

友野:そこでバイト、といっても顔バレしないのを考え「肉体労働系は絶対続かない」とか「コンビニ系はちょっと」という感じでボヤッと考えていたのが、売れないグラビアや女優さんがヌード写真集や風俗入店とか芸能界ではよくあるのでお笑いでもという安易な考えで風俗面接に至りました。

-現役の芸人さんが入店ということで噂になったんじゃないですか?

友野:お店面接のとき風俗動機やどんな仕事していたなど聞かれるので、芸人で仕事がなく生活のためと話しまして、面接中に店長さんがパソコン検索で吉本芸人仕事での活躍を確認してくれて「お笑いからホモ風俗デビューというのも売りにして働いてみようか」という事で面接に受かり、働きましたので、新宿2丁目ホモ風俗界隈も知ってくれてる方は多いかもしれないです。

-ファンの反応はどうでした?

友野:ホモ風俗入店して銀座の劇場等で応援くださってたファンの方々には凄く驚かれました。

-やはり往年のファンにも噂は行き渡ったんですね。

友野:噂はすぐ広まりました。新宿2丁目の店舗型ホモ風俗店でしたので店に御菓子の差し入れやホモ風俗姿を見に来てくださったり。店はお客様が来店するとマジックミラー部屋で並び、お客様に指名を決めてもらうシステムなのですが、ファンとは知らずに他のキャストとまざって膝立ち姿となりTバック一枚で並んでいて、マジックミラーの向こう側から女性達の賑かな声だけ聞こえ、店長に呼ばれて扉開けて出てみると「ファンの子達?」「差し入れ?」というのが頻繁にありました。

-ファンとしてはやはり一目会いたいですよ。

友野:お笑いライブ後に手紙や記念写メ等していた時と同じく、差入れや見学に来て、店内の面会場で少しの時間話してるときもTバック姿での記念2shot写メを求められたり。

-芸人の仕事にフィードバックされる事はありますか?

友野:中野区等で行われてる事務所関係なく誰でも出れるライブにいろものとして依頼等も直接きますので有り難いです。

-友野さんを応援したいと思う人は多いと思いますよ。

友野:風俗勤務を語るにははずせない方でフミエさんという女性がいらっしゃいまして。昔から応援くださってる人ですが。一時期は家賃も無理になり、店の寮住込みで毎日出勤していたので、気持ちで指導くれたり励ましてもくれて、風俗日払いで生活出来るように接客オプション即尺と精子飲み開始をするようすすめてくださったり。

-ナルホド~!では最後に告知等何か伝えたい事があれば。

友野:お笑いからホモ風俗(ホモ・ゲイ性感マッサージ店)に入店。風俗店では裸が仕事着となってこれまでのお笑いとは全然違う仕事内容ですけど、目の前のお客様接客でホモとして口を使いアナルも使いホモ・ゲイ性感マッサージの仕事にも慣れていきました。現在お客様接客では、即尺とお客様射精の精子飲みオプションまでが基本接客で働いてます(掛け持ち風俗店は女性専門M男デリホ店となります)。お笑いから応援くれてるファンの人達には、ホモ風俗で脱いだリアルな生々しい店姿となってても変わらず差し入れや店見学に来てくれたりです。ホモ風俗(ホモ性感マッサージ店)応援くださりありがとうございます。


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