まず、何かを得る前に解放からです。基礎が抜けると崩れゆく様は実に儚く一瞬です。
愛に苦しんでいる全ての人に最も必要な『解放』であり『自由』です。
よく悪縁とか、人に恵まれるとか恵まれないとか聞きますが目の前に現れた一つ一つの縁を、悪縁にしているのはいつだって自分自身なのです。
最初は好意をもたれ、こっちもいつの日か好意をもち好き同士になり、やがてカルマが解消されると、なんで好きになったかよくわからないとなるとき
その縁を誠実に向き合うか、物理的に離れたり、白か黒かのように愛していないからと邪険にするかで今後の未来に影響します。
カルマの解消?生産?どちらの道を行くかはあなた次第です。
愛とカルマと両親、このキーワードは切り離させない。愛の中に潜む『愛されたい』という想いはどこからきているのか。
『愛しています』この言葉に、濁りゼロの偽りのない純粋な真心のみでパートナーと出会い共に生きている人はどのくらいいるだろうか。
ほとんどの人は、共依存の関係や損得や利害関係が複雑に絡み合っています。
魂レベルでパートナーと出会うには、霊的成長のストーリーのあとに起こります。
◯◯な人と結婚したいとか、◯◯な人がタイプだとか言って理想を強くしている人は幻想の世界と実を結んでいくことでしょう。
覚醒前の一番暗い時、わたしの培ってきた全ての財産?知識も経験も費やした時間も全てを手放して解放したのですが、それはそれは辛かったです。しかし、そのあと急スピードで悟りが訪れ次元が変わりました。
不自由にしていたのは自分自身。何層にも重なっていた濁った重い古い羽衣を一枚一枚解放していくと神聖な魂が顔を出します。
限界まで追い込まれて気づく人もいれば、途中で気づく人もいますが潜在意識のカルマは自分一人では気づきは訪れません。
やはり人と人の出会いの中です。
自分の都合や、本当は気づいているけど今更戻れないとか、不純さが混じっている人は、本人には言わないけど誰もが観じとっていることでしょう。
愛は語りすぎると綺麗事で胡散臭いし、性本能を否定するのもおかしなことだから
わたしが経験したことで何かの気づきになればいいなあ。
あらゆる全ての人へ、愛と感謝と祝福を込めて。