ずいぶん間があいてしまいました🙇‍♀️

今日はいわゆる「悟った」場合の日常について、書いてみたいと思います。

まず「悟った人」というのは存在しません。

悟った人がいるからには、必ず「悟っていない人」もいるはずなのですが、

もともとこの世界にはそうした相対性はなくて、あるのは一つの意識だけ。

それを理解することこそが「悟り」というものなのだと思っています。

 

そして過去も未来も幻想であり、それはエゴの領域に属するものです。

実際にあるのは「今この瞬間」だけであり、果てしなく続いていく「今の連続」が人生です。

同様に「今いるこの場所」実際に目の前にある物事、それのみが存在しています。

目に見えない場所で起こっていることは、それについて語る必要がある時以外は、

意識からできる限り切り離す。

以上のことを、朝目が覚めて、まず思い起こすのが「悟った状態」であると言えます。

 

朝、目が覚めるとします。

そこで1日を始めるわけですが、その時に「今日はあれをして、これをして」などと

段取りを考えながら着替えをしたり、顔を洗ったり、身支度を整えます。

それは生きていく上で必要事項なので構わないのですが、大抵は別な思考がその間に入ってくると

思います。すなわち

「昨日あの人があんな態度だったのはなぜなのか」とか「今日はきっとあいつが

こんなことを言い出すに違いない」とか、「大谷はいつホームランを打つんだろう」とか。

これらの思考はみんな「今、この瞬間目の前にあること」とは無関係のものです。

さらに言えば「今この瞬間、しなければならないこと」とも無関係です。

これらの思考を、自分のものではなく、エゴの声として認識することができますか?

「今、自分はエゴ的?思考をしているな」と、素早く気づくことができるでしょうか?

 

エゴ的思考が悪い、というわけではないのです。

しかし悟りを手に入れるには、エゴの声を、それと認識することつまり

本来の自分と区別すること、これができなければなりません。

 

本来人生とは、「今の連続」にすぎず、それ以外のものでも、それ以上またはそれ以下のものでも

ありません。

「今、目の前にあるもの」と仲良くなり、それ(そこ)を愛すること、それが悟った状態であり、

至福の状態にいる人の意識です。

 

過去は関係ありません。あなたがたとえ、どんなに悲惨な人生を歩んできたとしても、

例え重罪を犯した経験があるとしても、、、

 

「今、この瞬間」にある、あなたとそれらは別物です。

過去、生きていたあなたはもう死んでしまっていない、と思ってみてください。

死んでしまって、もういないのです。

 

いるのは「今、この瞬間に生きている」あなた。

そしてあなたは、一瞬も同じところに止まることなく、常に新しく生まれ続けています。

 

過去から自由になることなどできない、という考えはエゴの仕掛ける巧妙な罠です。

過去(エゴ)とできる限り、決別してみてください。

同様に未来を憂うこともやめましょう。

それはエゴの領域であり、厳密には存在しない、不必要なものです。

 

できる限り、「今、この瞬間」に生きてみましょう。

いつも「今」を意識するのです。

そのほかに人生は存在しません。

生きることとは、意識が肉体を離れる時まで、その状態が続いていくだけのことなのです。

 

そう考えてみると人生なんて、本当にちょろい(!?)ものだという気がしませんか?

もちろん人生をなめたり、バカにしていていい、とは言っていません。

人生を舐めると、人生はあなたを舐め返してきます。それが法則ですので。

 

必要なことはできる限り、目の前の事象を愛すること。大事に扱うこと、敬うこと、そして

感謝すること。

これに限ります。

そうしてただ、単純に瞬間、瞬間を過ごしていくことができれば、それは間違いなく

「悟った状態」にあると言えると思います。