なんで私、病気になったんだろう?
発病して5年。
いまだになんで私は病気になったのか?
って思う。
どうにか、避けられなかったのだろうか。
発病のキッカケ。
それはやはり、
産後の入院生活。
私は、思ったよりメンタルが強くなかった。
そして、ストレスってすごく怖くて、
5日間とかでも簡単に人って、
廃人になることができるのだ。
あの時の生活は極端に言うと、
24時間休みのない、拷問のような環境だった。
拷問ですら、休みはとることもあるのに、
休息なんてなかった。
ボロボロの産後の身体。
貧血の身体。
痛みもひどいし、息切れもする。
大部屋だから、常に寝不足。
そんな身体を守るためか、
食欲という本能だけはすごかった。
3食完食してた。
しかし、赤ちゃんは待ってくれない。
3時間ごとに訪れる、
全然母乳の出ない、授乳タイム。
地獄だった。絶望しかなかった。
辛かった。
だけど、慰めてくれる人なんていない。
個室が良かった。
夫の前では弱音も本音も言えてなかった。
多分、彼が弱音とか吐かない人だから。
夫にもっと色々ぶつけてれば良かった。
個室にしろー!って泣き喚けばよかった。
医療過誤なのに、待遇どうにかならんの?って。
両親の前でも何故か元気に振る舞った。
退院の時も、実母に義母に異様に気を遣った。
そして、出ない母乳を中心とする、
退院後の生活。
母乳の出ないストレスが大きかった。
一日に何度も訪れる授乳の時間。
乳房外来は必死の思いで行った。
私は感情のない廃人へ静かになって行く。
そして、限界を迎えた3ヶ月目。
とうとう眠れなくなった。
ストレスが過度にかかると、
人間って死ぬこともあるんだ、と今なら思う。
そしてわたしは、
子供を預けて入院した。
私はもう2度と、赤ちゃんは産めない。
いや、産まない。
それだけ辛かった。
そして、今も子育ては一人で精いっぱい。
最近、
バウンサーや、
防寒用のケープとか、
妊娠中の服とか、
妊娠、子育て中に使った色んなものを、
決意表明のごとく、
整理している。
友人に譲ったり、捨てたり。
また下の子供が生まれたら…
なんて可能性を、
完全に断つために。
私はこの子だけのお母さんでいい。
それが私の運命だと思っているし、
それだけの器だし、
それが私の生き方。
もう産めないし、育てられない。
数年かけて授かった赤ちゃん。
なのに私は、
幸せを授かっただけではなかったのだから。
ストレスは本当に舐めない方がいいと思う。
誰にも自分というコップの容量は分からない。
いつそれが溢れるかなんて、分からない。
だから、
自分がストレスを感じたら、
周りからそうじゃないかと言われたら、
それからいち早く逃げた方がいい。
ひたひたと、
静かに心と身体を蝕んでいくのが、
ストレス。
寝ないでも平気。
この時期はみんな寝られないし。
他の人がヘーキでもそんなの関係ない。
自分のことを過信して、
寝ないでお仕事されて、
亡くなった人も知っている。
ストレス、
そして睡眠。
病気になりたくなかったら、
甘くみてはいけなかった。
本当に後悔している。
そして、
妊娠中、産前からの妊婦教室の意味を問う。
もっとリアルを伝えるべきだと思う。
いいことよりの情報ばかり。
ふわーってしてて、不安にさせない風潮。
あれじゃ、こんなの聞いてない!
パニックである。
大変で悲惨な産後の情報は隠すべきではない。
最悪のケースを想定させることが必要だ。
私の実体験を話して欲しいと言われたら、
喜んで協力する。
産後のケア、
何度も保健師や助産師から連絡をもらった。
でも、もう病んでからでは全然役に立たない。
市町村のケアなんてクソみたいだった。
甘すぎる。
5年経った今、
産後うつで死亡する人は
減ったのだろうか?
少子化問題、
そういうことにもまだ課題がありそうだ。
具体的に国にして欲しいことを挙げる
・個室加算の免除
必要と思われる産婦に対しては国の補助により、
個室移動させることが出来るようにする。
・母乳推進の行き過ぎの是正
初乳以降は早めにミルクを許可することにする。
・産後うつ撲滅にもっと力を入れて欲しい
本気さが感じられない。
死亡者が増えてるニュースしか見たことない。
出生数を増やさんと、
教育費の負担を減らすとか、
手当てを与えるとか、
いくらお金をばら撒く予定があるとしても、
産後、
自分の命や授かった命を断つようなことになれば、
国の政策や援助を与える機会すら訪れない。
何より、家族は大きな悲しみを受ける。
もっと安心して、
出産、育児ができるようにして欲しい。
そして、
不妊症、不育症に対する理解を広め、
経済的援助ももっと必要だと考えている。