先週松山に出掛けたのですが、丸一日時間があったので、松山城~坂の雲の上ミュージアム~道後温泉~子規記念館のコースで回ってきました。
まず松山城で感じたことは熊本城と基本的に似ているということです。熊本城は江戸時代を通じて、明治初期の西南戦争まで、対島津家の要塞であったわけですが、松山城もひょっとすると対毛利家の要塞という意味合いがあったのやもしれません。
対毛利家としては姫路城や明石城があると思うのですが、四国の海上から毛利を制するために親藩の松平家を高松と松山に置いた可能性を感じました。
熊本も松山も築城は秀吉の7本槍の加藤清正と加藤嘉明ですが、完成を待たずに他国へ配置換えにされています。家光は始めから彼ら武断派を残しておくつもりは無かったであろうことは明らかなのですが、どうにもこの当たりの言説は弱いように思います。
平成の世になっても、未だに徳川家に対して気を遣っている部分があるのかも知れませんが、広島城の福島正則はじめ、もう少し家光の行った大名つぶしは明確にしておいた方が良いように、松山城で考えま した。
