弘田三枝子さんが昭和時代に歌われた曲で、美桜はしらない。聴いてみたが、
なんとも言えない曲で、ほこりにまみれた人形みたいというのが何度も響き、
最後に命をあなたに預けたと繰り返すので、預けるも何もみんな脳みそを操作されて
いる状態だというのが現実みたい。顔もみたくないって思うほど嫌われたら
呼ばんでな?
ほこりにまみれた人形で検索したら「汚くなったまことちゃん」の画像が出てきたので
載せてみた。美桜は漫画1冊持っていたくらいで、まことちゃんの話はたくさんあるのに
1冊分しかしらない。テレビでもやらんやったし。
それで思いだすのが外国映画を幼少期に観て、この話は随分昔にここで語ったことが
あると思う。ブログネタだったろうか。探すのも面倒なので語ると、青い目をしたお人形。
それの髪の毛が伸びるというもので、美桜が当時持っていた人形と瓜二つだったので、
処分したことがあるというもの。気持ちが悪かった。それだけテレビで観た映画の
作品が引き込んだということだろう。
呪怨・・・つよい怨みを抱いて死んだモノの呪い。 ... それは、死んだモノが生前に
接していた場所に蓄積され、「業」となる。 その呪いに触れたものは命を失い、
新たなる呪いが生まれる。
セルロイドという素材の人形だったろうか。そういう硬い人形は今は持っていない。
昨日の話題にしたようなマスコット類。あっても洗えるので、ダニや汚れが
ありそうだったら洗濯機に入れる。手洗いはしない。結局は脱水にかけないと
部屋干しになるので。
他の洗濯物と混ざらないように工夫はする。
さて、この美桜の人形の記憶も本当だったのだろうか。それと映画の方が偽だろうか。
かりそめ・・・仮初めと書きます。仮に初む(そむ)こと、 つまり「仮になり始めること」。
辞書的な意味は、 「一時的な、その場限りの」 「ちょっとした、重大ではない」 。
例えば、「仮初めの恋」と言うと、 すぐに終わるように。
だとすると、どゆこと?何がかりそめなのか。館の中での人形劇か?
それとも美桜の人生か。
結婚生活がかりそめで?それとも美桜の親や親族との関係がかりそめだったのか。
デーモン閣下が歌う、「白い奇蹟」の中にもかりそめ描いた絵の中へという歌詞が出てくる。
そして、聖飢魔Ⅱになりきれるフェイスシールドが信者必携レベルのクオリティ…
かりそめの姿を捨てて、聖飢魔Ⅱの構成員が期間限定で再集結するというものも目にとまり、
検索していると不思議な言葉が増えてくる。かりそめも、館では二通りくらい意味を
かえられそう。そんな印象を植え付けられてしまい、真面目な話さえ、性的な方向へ
一度は落としておこうかと考える癖がつきそうで怖い。まずはそこへという思考になると
その他大勢の人形には美桜の心の声が聴こえているので、合っても間違っても
どこかで笑われている。
フェイスシールドで構成員になった方たちでしょう。右は閣下。
フェイスシールドは数種類あるみたい。右は鳥の顔。見てもわからんね。
ピンときたらってのがあったが、現実は整形もあるし、わからん。右のように
昔の写真で年数が経つと、それを経過年数ほど想像して現在はどうかと
いう予想の人相書きも有力な手掛かりになるだろうが、通り過ぎても
わからん。心の声を聴ける人がいたら見つけるだろうがね。
自分の人生だが、一部の人間は数人分の人生を経験できる。
そんなあり得ないことを考えるというのを本気で考えるのが、時代の進化だろうか。
ピテカントロプスになるよりも人形になる方が簡単らしい。
操る人間次第で人生が変わる。
んじゃま、そゆことで