【このブログの記事及び写真を保存して、インターネット上に 自動送信をおこなう行為を禁止します。 同様の機能を有するサーバーへのこのブログの記事及び写真の保管、他サイトへのコピー掲載を禁止します】







昨日も書いたけど、






こんなブログを書いていると、

メッセージやコメントで
否定批判がくるのは当たり前、

そしてもっと面倒臭いのは
上から目線でアドバイス風の
強要をしてくる輩…




中でも定期的に
真実告知について意見してくる人がいるんですよね…



本当に面倒臭いよ…




ブログを以前から
読んで下さっている方は
お分かりだと思いますが、

私は息子を
卵子提供で出産しました。



そこに至るまでの葛藤、
長きに渡る不妊治療の苦しみ…

ずっとずっと
ブログに綴ってきました。




生半可な気持ちではなく、
相当な決意の元に
息子を出産した訳です。




詳しくは過去記事と
重複してしまうので控えますが、

卵子提供をする時点で、

私は将来的に
生まれてくる子供には
真実告知はしないと決めました。




その気持ちは
今も揺らぎません。



だけど、
そのことに否定的な方達がいて、
私の考えを批判してくるんですよね。





“大人になって告知されて
辛い思いをしている人の記事を読んでちゃんと勉強しろ!!”

とか、

“生まれてくる子供には
知る権利があるんだから
ちゃんと告知しろ!!”


とか。




なんかね、
うんざりなんですよ…





大人になって真実を知って
遺伝子上の親に会いたくて
苦しんでいる方がいることは存じてます。



いつもそういったことは
心の奥深くにあって、
常に自問自答しています。



だけど、
一度決めた決心が
揺らぐことはないです。




大人になって知って
苦しむ人は大勢いる…



だけど、
告知されずに育った人の気持ちは??



それは本人すら知らないことだから
周りの者が知る由もない…




不幸なことなのか??

不幸ではないのか??




声が上がるのは
真実を知ってしまった人のみ。



その声だけが
真実告知の全てなのでしょうか??





真実を知らされずに育っている子供の声は
聞こえてこないから…

無視していいものなのだろうか??




誰にもその答えは
わからないはすです。




それぞれが
それぞれの状況下において
判断していくしかないと思う。




“告知しろ!!”

と圧力をかけられて
告知するような簡単なものではないと思う。




だって知らなくて幸せな人だって
たくさんいるはずだから。




これまたもう耳タコですけどね、
卵子提供とは違うけど、

うちの父は5才の時に養子に出され
親戚の元で育っているんですよ。




養子ですからね、
そりゃ隠しようはなく、

最初から自分は
養子だと知っているんです。




そして父は生涯ずっと…
今でも…

養子だということを
受け入れられずに苦しんでいます。





5才で小さいから
真実を知っても大丈夫…

ということはなく、

小さくてもその真実を
受け入れられなくて、
一生の傷を負って生きていく人もいる。





認知症の父はね、
色んなことを忘れているけど、

養子になった苦しみは
忘れることはないんですよ。




今だに母の前でだけ、

“自分は実の親に捨てられたんだ…”

と、

泣くことがあるそうです。





心に大きな傷を抱えた父を
見て育った私には、

真実告知=その子の幸せ

という方程式は
成り立たないんです。





もちろん否定はしないけど、

そうかもしれないし
違うかもしれない…

という
双方向からの視点があります。




子供の権利を守ることは
とても重要なことですが、

もっとシンプルに
その子の幸せを考えて、

真実を知らない子供の
幸せな毎日もあるかもしれない、

ということを忘れず、

一方的ではない
声なき声に思いを馳せることも
大切なのではないでしょうか…