犬の話じゃないです。

ごめんなさい・・・



ひとから見れば、ただの車の話。


私の母は48歳でパーキンソン病になりました。

若年性パーキンソン病。

私は20歳でした。

パーキンソンの勉強をし、講習会にも足を運び。

将来自分がなる可能性があることも知りました。


長く介護の仕事をしていた母にとって、

最もなりたくない、と言っていた病は

パーキンソン病とリウマチでした。

苦しんでいる人を多くみたから。


介護をする側から、される側になる。

精神的にもとても辛いと学びましたが、

我慢強い母は、一度も文句を言いませんでした。

最後まで。


自分ははっきりしていても、

身体が思うように動かない。

胃の弱い母には受け付けられない薬もあり、

それなりに進行していきました。


私は30代でマレーシアに引っ越して、

たまに帰ってきたけれど、

ある久しぶりの再会のとき、

私の名前がわかりませんでした。


どうして離れてしまったんだろう。


悩んで、悩んで・・・

当時の夫と離婚し母の介護を選びました。

父がメインですが、疲れも激しい。

狭い団地の部屋の中、トイレに連れていくのも困難。


そのころオットと出会い、

母から再婚をしてほしいといわれました。

一人ぼっちの娘が心配で・・・

レビー小体型認知症も発症していたけれど、

時々、ほんの少しだけ現実に戻ります。


オットが衝動買いした今の家は母の介護のため。

そして、車も母の介護用のもの。

ラウムっていう車なんですが、

膝も曲げられない母をそのまま乗せられる、

ただそのために買った中古車でした。

父もラウムを母のために使っていました。


でも、それから間もなく、

あっけなく母は亡くなってしまいました。

まだ、69歳。

一通りの介護はしたけれど、

まだまだこれから・・・と思っていたのに。


残った家は夫婦二人には不要に思いましたが、

預かり犬が増えていき、

マンション派の私ですが、

アパートやマンションなど今は行けるとこないね。


残った車は・・・

母の車、と呼び続け今に至る。


代えるべきだな、と思いつつ、

経済的に難しいこともあって。


3月15日、突然車の購入を決めました。オットが。

なんでかわからないけど急に。

父に電話をしたら、それが良い、良かったねと。


おかあさん、さようならだね・・・


オットが手続き(ローンね!)を始めたとき、

小梅さんから電話が入りました。

それは何とも不思議なタイミングで、

なんだかすべてが繋がっているように感じました。


私の好きな言葉にLINKとか縁があります。

そんなようなこと。