私はまた自由になった。


相変わらずお金はなかったが、年頃のそれなりの女の子と同じようになった。


彼氏もできたりした。


楽しい毎日を送っていた。




妹は高校を卒業した。


就職はせず、母の店を手伝っていた。


給料がもらえないと愚痴ばかり言っていた。


だったらちゃんと就職すればいいと言ったが、そうゆう所がヌルイ子に育ってしまった。


妹にも屈折があった。


本当なら大学に行きたかった、皆は親がちゃんとしてくれてるのに、ウチは。


みたいな事も言うようになっていた。





ある日、兄から電話が入った。



「O島が死んだ。」



「殺された」






金絡みで拉致されて、顔は腐ったキャベツのようにグチャグチャ、死体は局部を切り落とされ、とても無残な死に様だったという。


なぜか父が遺体の身元確認を立ち会ったらしい。



兄は父から背負わされたサラ金の他に、Bという男から父が借りた借金の保証人にもなっていた。


このBという男もまたヤクザで、O島を殺したのはこのBだった。


後にBは獄中死する。




私は、借金がなくなった。


250万位、返済した時の出来事だった。



一応、弁護士のもとを訪ねた。


元本を190万とし、毎月10万円、25か月間、250万の返済。


法廷金利では、すでに借金は完済しており、330万の借金は無効である。さらに30万以上の過払い請求ができる、という内容証明をO島の妻宛てに送ってもらった。


それでも変な輩が返済を求めてくるのではないかと不安があったが、そのような事も一切なかった。





不謹慎かもしれないが、人が死んでこんなに嬉しいと思ったことはなかった。


きっと、私以外にもO島が死んで喜んだり救われたりした人はいっぱい居ただろう。


母は「人殺しは、人に殺されるんだよ。因果応報」と言っていた。



しかし、ある日を境に突然借金のなくなった私は、どうして良いかわからなくなった。


今まで「何か」の為に一生懸命頑張ってきた。妹だったり、借金だったり。その「何か」がなくなった私は、


何故か、これからどうやって生きていっていいのか分からなくなってしまった。


そこで夢を作った。


いつか、兄と妹、3人で商売をしよう!


夢など見る余裕のなかった私は、その夢に夢中になった。


夜通し兄弟で夢を語り明かした。


とてもワクワクした。


すごく頑張ろうという気持ちになった。


生きてるって素晴らしいと思った。



私は店を移った。指名制の店に移った。


お金を貯めよう。


私は頑張った。


1年くらい務めた頃、指名上位に入るまでになっていた。


指名料は基本給と同じくらいもらえた。


いっぱい貯金した。


そして自分の為にお金を使った。


怖いものなんてなーーーんにもなかった。




私は父とは一切連絡をとらなかった。


父を拒絶した。


もう関わり合いたくなかった。


父はそこらへんでちゃんと生きていた。


別に嫌いだったわけではないが、会いたくなかった。


兄は相変わらず借金返済に追われていたが、一生懸命仕事をしていた。そしてしばらくして東京に出ていった。


妹は彼氏ができたりした。何事もなく穏やかに幸せだった。




ある時、母の店の経営がまた傾き、母と妹の部屋を解約しなければならなくなった。


つまり、妹と母とA、3人で暮らさなくてはならなくなった。あ、その時はAの母親もいた。


妹は泣きながら、私ももとへやってきた。


「姉ちゃん助けて。なんとかして。あいつと一緒になんて暮らせない」


私は考えた。


金を出すのは簡単なことだ。


でもただ出してやるだけではいけないような気がした。


そして断った。


妹はすごいショック、目の前真っ暗みたいな顔で帰っていった。


その数日後、また来た。


「これからはちゃんと働く。きちんと働いて返すから貸してください。姉ちゃんならすぐ何とかしてくれると思った、でも、私が間違っていた」


私は自分の住んでいた部屋の階下の部屋を借りてやった。


「お金はいらないから、一人できちんと自活しなさい」






それからの生活は、さらにひっ迫した。


毎月10万円もの返済、生活費が足りなくなると給料を前借した。


お給料は前借分が差し引かれるから、当然ながら額面が減り、ものすごく生活が大変になった。



私は昼間も働き始めた。


正直身体がきつかった。最初はなんとか頑張れたが、3か月もすると夜の仕事を休んだりするようになってしまった。


これでは働いている意味がない。


お米とか、買えなくなったりして、私は、このご飯を食べると妹の分がなくなるから、我慢したりした。


私はいつもおなかをすかせていた。



母に言った。


父のことも話した。もうお金がないから、月々家賃分くらい送金してほしいと。


母は言った。

こっちだって父の借金に苦しんでいる。この間はO島が来て、勝手に父が母の名前を書いた借用書を持ってきて月々払うことになってしまった

あのひとのせいでどうとかこうとか


私が父に借金をさせられた事はあっけなくスルーされ、自分のことばかり話し出す。


いつもこうだ。母との話しはいつもかみ合わない。


送金の事も、


なるべくね、と言った。


ようするにNOだった。




私は昼間のバイトを始めたり、辞めたりを繰り返しながら、何とか生活を続けた。


もう本当に毎日お金がなかった。


でも、絶対に人にお金が無いとか、お金を貸してほしいとかは言わなかった。


誰にも頼らなかった。もちろん頼る人もいなかったが、それだけは絶対に言ってはならないような気がしていた。

父と同じになってしまうようで、絶対に言ってはならないと思っていた。



月日は流れ、母は市内の私達の住む町の近所に店を移すことになった。


正確には、今までの店が潰れて、逃げるように店を移したということなのだが。


私は、何かうっぷんが溜まっていた。


母が近くに住むのだから、もう私に妹の扶養義務はなくなったと思って、母からの申し出を待っていた。


しかし、いつまで経っても母は何も言ってこなかった。


私は母に言った。


そろそろ妹を引き取ってほしいのだけど。


母は、

家賃が2倍になる、と言った。


ようするに、Aと妹と母と3人では暮らせないから、もう一つ部屋を借りなくてはならない。そうすると家賃が2倍になってしまう、というのだ。


また会話が噛みあわなかった。



私は、妹の事が嫌だったんじゃない。


誰も私の努力を理解せず、私の事を考えてくれないことが嫌だったんだ。


なぜ私ばかり、


なぜ、皆、自分の事ばかり。


母には再三部屋を借りるよう言い続けた。妹にもきちんと話した。「もうママがいるんだから、ママと一緒に暮らしてね。」

妹はきちんと理解してくれていた。


しかし、いつまでたっても母が動く様子はなかった。



そんななか、私の勤めている店が潰れた。


ある日、いつも通り出勤すると、マスター達がボックス席に座っていた。


ママの置手紙と共に。



ママがいなくなった。



皆の話し合いの結果、もうしばらくそのまま店を続けることになった。


その日日給を皆一律とし、現金収入を皆で分ける、ということになった。


さらに収入が減ったうえ、お給料を貰えない日もあった。


私はすごく困った。


でもお世話になった人たちを置いて、一人だけ抜けることもできなかった。


通勤のバスをキセルみたいな事もした。降りるときになってお財布を忘れてしまった、とか言って無銭でバスに乗ったりして通勤した。


お客さんものうほとんど来なくなっていた。2か月くらいして、もう、このまま続けても仕方ないんじゃないか、みたいな空気になった。


みんな、どうしたい?


とマスターが言った。


私は「ごめんなさい、普通の暮らしがしたいです」と言った。


それをきっかけに、その日、そのまま店は閉店した。


マスターが、別な店を紹介してくれて、翌日から私はそこで働き始めた。




しばらくして、ママがいなくなる半年くらい前から、私以外の全員が、お給料をまともに貰っていなかった事を聞いた。


私には何も知らせず、私だけが満額のお給料をもらっていた。


だれも何も、私に言わなかった。私の生活状況を知っていたから、皆、なにも言わず、私だけにお給料を支払ってくれていた。


私はそれを聞いて泣いた。


そしてさらに自分が店を閉店させる一言を言ってしまった罪悪感にとらわれた。



私はだれにも頼っていないつもりだった。頼るということは、迷惑を掛けることだと思っていた。


私に一番良くしてくれた人たちに、一番迷惑を掛けてしまった。


本来頼るべき親は、私に感謝の一つもせず、いつも自分のことばかり言って、いつも「だって」「だって」と言い訳をして、いつも自分のことばかり優先する。


私はいつだって自分のことは2の次で、妹の為に、親の為に、一生懸命やっているのに、


まるでそれを分かっていない。




私は妹に当たってしまった。


「もう嫌だ、なんで母が居るのにお前は私といるの。母に言いなさいよ。お前を育てるのは私じゃないでしょ、もう出て行って!!」


言ってはいけない事を言ってしまった。


2年半、妹と一緒に暮らした。

妹は泣きながら出ていった。


「姉ちゃん、ずっとごめんね」


そんな事を言わせてしまった。



母は住んでいた下の階の部屋を借りて、妹と暮らし始めた。

母は私に対して今までの詫びも礼も一言もなかった。


私はとても後味が悪かった。


私は母と同じことをしてしまったのではないだろうか?


妹は悪くないのに。







9月20日

「げんきだよおお ああああ」


今日の電話での第一声は「元気だよ」と言った


あとはまた泣いて言葉にならなかった。



Aさんのが言った


隣りのベットの男の人、脳腫瘍で手術したんだ。


前日まで普通に会話して元気だったのが、術後は植物人間のようになってしまった。


母の方がまだマシだが、手術して悪くなるなんて、母と同じなんだ


奥さんも信じられないと話しているんだ。




母に付き添うAさんは今まで口に出さなかった疑念を言葉にした。


この手術は、失敗したのではないか



この病院は、若い先生が多い。


手術に執刀したのも私と同じ年の頃の、30代半ばくらいの先生だった。


説明をしてくれた先生は20代後半くらい、母の元を訪れる先生は皆、そんな若い先生ばかりだ。


だから、ということはないのだろうが、、、


そうだ、これは偏見だ。


年齢は関係ない。