先週の土曜日のお話。
土曜日の日に、母と2人でデボーションのひと時を持っていた時、
家事や、仕事に対して、喜んで行えている。
辛くしんどいことではなく、神様は本来楽しみ喜びなさいって言ってるし。祈りながら、ひとつひとつをこなしている。
という証を聞きました。
母の仕事は、体力勝負で、
環境も劣悪な中、男に混ざって力仕事を1日するという仕事。そして、不良が出ないよう、物凄く細かく目を凝らしながら、集中しながらの作業をしなければならない。
体力も精神力も消耗が激しい仕事を、毎日毎日おこなっている。日に日に年をとっていく母には本当に負担の大きい仕事です。
日々の体の負担は増しますが、日々の回復も衰えて、お休みだけでは体力を回復することが出来ず、毎日ヘロヘロで、何とか1日終わらしているというのが正しい表現な気がする。
つい先日まで、
「仕事で集中しなければいけない時に限って、サタンからの攻撃に合う。」
と話してくれていた。
体を動かす時も、
「サムソンに与えられた力をくださいぃっ」と祈り、重たいものを持ち上げたりしていたと言っていた。
私はずっと、母にふさわしい職種を与えてくださいとお祈りしていた。夜もうまく寝れなくて、お休みもゆっくり体を休ませることが出来なくて。倒れてしまうギリギリの所を歩んでいる母を見ていると、苦しくて仕方がなかった。
でも、神様はその場に母を置き続けた。
その母から「喜んで、楽しんで」仕事も家事もできていると聞き、本当に驚き、また神様の栄光を見た。
人を通して、神様の輝きを見るとはこういう事なのかと、母を通して教えてもらった。
私には母がとても眩しく、輝かしく、誇らしく見えた。
神様が母の中にいるのを、ハッキリと見た。
そして私は思った。
私は、毎日の中で神様に何をお捧げできているだろう。
毎日を通して、神様から何かを頂くことは願っても、神様にお捧げできるものが何も無い。
神様は行動ではなく、心を見られるお方で、それを喜ばれるお方。でも私は、どんな心が相応しいのか、お捧げして目を止めていただけるものなのか分からない。。
神様、私に喜んで捧げることを教えてください。
そう祈っていたのに、今週わたしは昔の私に戻ったように、小さなことにイライラしたり、あれが無い、これも出来ない、とまったく心満たされない日々を過ごしていた。
おかしい。。。
祈ったのに。。。
昔に戻ってしまった。
小さなことにイライラして、いつも心の中に不満があるなんて。。。こんなの嫌だ。
神様、心からお捧げする事を教えてください。アーメン!
だめだ、ムカつく。
だめだ、イラつく。
の繰り返し。
こんなことなら、少し前の方が良かった。
この祈りをする前は、毎日本当に楽しくて、満たされていて、色んな試練はあったけど、家事や育児は楽しく出来てた。主人の為にご飯を作ることも楽しかったし、娘と1日中一緒に遊んだり、自分の行動が制限されたりしても、娘と居られて嬉しかった。
はっ!
あれ?私は既に、もってた。。。?
私はちゃんと、喜んでやってた?喜んで、お捧げ出来てた?!
おおっ、そっか。もうもらってた!
ってことに気付かされ。
神様はもう十分な必要を私に与えてくださっているのにもかかわらず、それが見えずに嘆き求めていることが、もしかしたら沢山あるのかもしれないと思った。
そして極めつけが今日のでボーションの内容。
しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。Ⅰテモテ6:9
なるほど~。そうかそうか。
私は、神様からの恵みを沢山たくさん貰っていたなぁ。
私も充分、神様から輝きは頂いていたなぁと気付かされました。
みことばを黙想するとき、祈るとき、礼拝するとき、敬虔そのものが与える大きな利益を味わっているでしょうか。
私に益を与えるイエス様ではなく、イエス様ご自身が私にとって益であると、心から喜んでいるでしょうか。
このタイミングでこのデボーション。。。
神様は今日も生きて働いておられますね。アーメン。
そして、毎回、デボーション、祈り、証が終わる頃に、娘がお昼寝から起きてきます。笑
神様は今日も生きて働いておられますね。笑