はじめまして!

わんにゃん健康手作り食教室
中村さやこです
 
 
 

 

愛犬の手作り食を17年。
元動物看護士。
手作り食を勧める動物病院での経験を活かし、
わんにゃんの健康手づくり食教室を開講。

可愛いおやつ作りやごはんはもちろん
わんにゃんの栄養学を学ぶ講座を主宰しています。

愛犬のアトピーとアレルギーがきっかけで手作り食を開始。
次第に痒みも減って薬を手放すことができました。

その後、大きな病気一つもせず、17歳まで頑張ってくれました。

動物病院では、
同じようにアトピーやアレルギーで
悩んでいる子以外に
外耳炎、涙やけ、腫瘍、気管虚脱、ヘルニア...

様々な病気の子がたくさんいました

ペットフードから手作り食に変えていくと
年中痒がっていた子の痒みが減り
毛も生え、みるみる綺麗に変わっていきました。

飼い主さまも辛そうなお顔だったのが
『毎日この子のご飯を作るのが楽しいです』
と明るい笑顔に変わっていきました。

開講後は延べ270名の方が受講していただき、
『手作り食に変えて痒みが減りました!』
『外耳炎が再発しなくなりました!』
『涙やけがマシになってきました!』
など、たくさんの嬉しいお声をいただいています。


少し長くなりますが、
私がなぜ、この教室を始めたのか?
なぜ犬猫おやつだけでなく栄養学の講座にこだわっているのか?

生い立ちからお話していきますので、
お付き合いいただけたら嬉しいです

 

 

  動物が大好きだった幼少時代

 

 

1986年 兵庫県尼崎市で鉄工業を営む父と料理教室を経営している母から私は生まれました。

小さいころから、動物が大好きで動物のぬいぐるみを抱いていつも一緒にお出かけしたり寝るときも一緒でした。
お散歩に行ける犬のおもちゃをクリスマスにプレゼントしてもらい、毎日散歩に行っていました。

お世話をすることが大好きで、いとこが出来たときは抱っこや寝かしつけなど率先してやっていました

母は温厚で優しいがかなりの心配症。
父は優しいが、常識やルール、マナーには厳しく、叱られることもあり自己肯定感が低めに育ってしまう。

そのせいか、
物心がついた頃には人の目を気にするようになり、

人の言葉や行動をマイナスに捉えてしまうように・・・。
 

 

 

  チャコの存在

 

小さいときからわんちゃんが欲しくて毎日のように両親におねだりしていました。
なかなか首を縦に振ってくれない父がようやく縦に振ってくれたのは私が小学六年生の時。


ブリーダーさんが犬を家まで連れてきてくれて、家族全員でお迎えしました。
母犬から離され知らない場所に来てずっとブルブル震えていたのを覚えています。

家族会議の末、付けた名前は『チャコ』

チャコは本当に賢い子でした。
一度言えばわかる頭の良い子で、しつけがいらないくらい優秀でした。
トイレも外でしかできないように教えていたので家の中では一切せず、
家族が喧嘩していたら仲裁に入ったり
何度も時計を見てトイレをお知らせしたり。




家族全員大切にしていました。

大切だったから、獣医の言うことを忠実に守っていました。

『ダイエットさせてください』

パピヨンの理想体重は2~3㎏。
チャコは体格の大きいパピヨンで5㎏あった。

体格が大きいだけで本来なら8㎏はあってもいいくらいでしたが、当時の獣医は体格ではなく理想体重ばかりを言ってくる獣医でした。


私たちは知識がなく、獣医の言うことが正しいと思っていたので、ダイエット用のペットフードで3㎏の分量で与えていました

当然、市販のおやつもあげず、人間の食べ物も一切あげませんでした。

首を痛そうにしたり、脚を痛そうにすることがあったが獣医へ診せたら痛み止めの対症療法と、
『こんにゃくでもあげてください』と言われた。
こんにゃくはカロリーがないのと関節に効くらしい。


今考えたらヤブ医者なのがすぐにわかるが、当時はセカンドオピニオンの言葉すら知らず、その獣医さんを信じていました。

 

 

 

  口のできもの

 

チャコが5歳になった秋。
口の横に小さなできものが出来た。
獣医に見せると
『取りましょう』の一言。

イボくらいに小さいものだから家族は様子を見たかったのですが、悪性であれば早く切除した方が良いとのことだったので手術の予約をしました。

11月下旬、手術の予約をしていたけど、なんとなく気持ちがざわざわして家族全員嫌な予感がしていたので延期。

口のできものが少し大きくなっていったので、家族みんなでよく話し合い、もう一度手術の予約をしました。

チャコ自身も何かを察知していたのか、普段外でしかトイレをしないのに何度もおもらし。
便も家の中でしていておかしかった。
 

 

 

  チャコの死

 

 

手術をしてもらい、夕方帰ってきたがチャコの様子がどうもおかしかった。
私は学校があったので母親がお迎えに行ったが迎えに行った時からぐったりしていたらしい。

『そのうち麻酔から覚めて普通に戻りますよ』

そう言われたけど
30分、1時間経ってもぐったり。

獣医に電話するが
『そのうち戻ります』の一点張り。


夜21時ごろ、
私が頭を撫でていたらチャコの呼吸がさらにおかしくなった。
痙攣をおこし、泡を吹き始めた。
そのうち下血をして呼吸が止まった。

姉が夜間救急に電話して人工呼吸の仕方を教えてもらい
父が必死に人工呼吸をしていました。

私は怖くてただ、見ているしかできませんでした。

父が何度も人工呼吸を繰り返すが戻ってはきませんでした。


その日、何年振りかにみんなで一緒に寝ました。

翌日、獣医に状況を説明。

『こんなことは初めてなのでこちらも言いようがない』と言われました。

『解剖』の選択肢などなく、泣き寝入りでした。


高校生の私には獣医を責めるというより

”なぜ死んでしまったのか”
”なぜチャコはもういないのか”
”死んでしまった理由が知りたい”

この間まで元気だったチャコがいきなりいなくなってなぜこんなことが起こったのか現実を受け入れられませんでした


『もっと美味しいもの食べさせてあげたかった』
『もっとたくさんごはんあげたかった』
『もっと生き生き過ごさせてあげたかった』
『もっと楽しいと思えることさせてあげたかった』

後悔ばかりが残りました

これが高校二年の冬でした

 

 

 

  トリマーの専門学校へ

 

 

チャコがいなくなってもいつも通りの日常がやってきて、チャコが使っていたベッドや食器も最初は寂しかったけど毎日学校に行くことで次第に平気になっていきました。

高校三年生になって、進路を決めることになり、犬猫が大好きなのとチャコの死の理由が知れるかもしれない・・・と思い、犬猫の学校で学ぶことを決めました

動物看護士になる選択もあったが、チャコが亡くなったときを思い出すのが怖くてできなかった。

犬猫をシャンプーしたりカットして綺麗にするトリマーの道に進むことになります。

 



  新たな出会い

 

 

専門学校へ通ってからご縁があり、新しく犬を迎える。

チャコと同じパピヨンで名前はピノ。
ピノはアレルギーとアトピーが酷く、どんなフードに変えても痒みが引かず、ステロイドを塗る毎日でした。
アレルギーも多いため、アレルギー対応フードに変えるが、下痢をしたりなかなか安定せず。
チャコのことがあってから後悔だけはないように色んな病院へ行って色んな先生の意見を聞いて回りました。

県外の病院へ通っていた時期もありました。

この時はまだ手作り食の存在も知らず
フードを与えながらステロイドを続ける毎日でした。



これは酷かったときの写真です。





  持病が悪化

 

 

トリマーとして勤務して1年近く、持病のアトピーが悪化。
身体中ステロイドを塗るが効かなくなり仕事ができないほどひどくなる。

脱ステロイドを決意し、通院治療する為退職。
食事療法の皮膚科へ通い、1年かけて完治。
通院治療中、アレルギー検査で犬アレルギーが判明。
ハウスダストやノミなどトリマーには付き物の項目にアレルギー反応が出たためトリマーには戻れず。

 

 

  手作り食の存在

 

自身のアトピーが完治して、

ピノのアトピーも食事で治るのでは?と思い、

この頃から犬の食事について学び始める。


そこで、犬の手作り食の存在を知ります。


当時は、教えてくれるところがなかった為、本を見ながら独学で手作り食を始めました。

すると、どんなフードに変えても治まらなかった痒みが少しずつ減り、脱毛していた毛も少しずつ生えてきました。


ステロイドもやめて食事だけで完全に良くなり、
『手作り食についてもっと学びたい』
そう思うようになっていきました

 

 

 

 

  動物看護士の道へ

 

 

『手作り食についてもっと学びたい』
『チャコの死の原因を追究したい』

その気持ちが合わさって動物看護士の道へ進むことを決意。
アルバイトをしながら動物看護士の資格を取り、
手作り食を勧める動物病院で勤務するようになる。

そこには、いろんな病院へ行ったけどなかなか治らずセカンドオピニオンで来られる方が多くいました。

皮膚病の子はもちろん、てんかん発作や気管虚脱、椎間板ヘルニアなど、
手作り食に変えることで改善されていくわんちゃん猫ちゃんがたくさんいました。

仕事自体は楽しく、大好きな動物たちと関わることができたし、
困っている飼い主さんが安心していく姿や、
状態の悪かった子たちが良くなっていく姿を見れてやりがいを感じられました。

この頃から、チャコがなぜ亡くなったのかがだんだんわかってくる。

いろんなことが勉強になった反面、
院長や上司たちは厳しく、言葉もきつく、オペの時間など常にピリピリ。
わからないことを聞けるような雰囲気ではなく、いつも院長や上司の顔色を伺いながら仕事をしていました。


『この仕事したいけど上司はこっちの仕事をしてほしいんだろうな…』
『上司が今この仕事してるから私は…』


上司を怒らせないように、上司の行動ばかりが気になって自分の仕事ができず上司の為に常に動いていました。

『代わりなんていくらでもいる』
何度も言われて、自分がここにいる意味がわからなくなりました。

好きな仕事が辛いだけでした。

仕事の帰りはずっと張っていた糸が一気に緩んで泣きながら帰る毎日でした。
それでも、『辞める』という選択肢はなくて『もう少し頑張る』『まだ頑張れる』
そう思いながら生きていました

仕事のストレスは全部食事で発散。
毎日、お酒を飲んで現実を忘れたくて記憶がなくなるほど飲んでいました。
夜中にラーメンやおかしを食べたり
罪悪感で無理矢理吐く。

そんな弱い自分が嫌で

今度はオーバードーズもするように・・・。

 

たくさんお酒を飲んで、大量に薬を飲む。

 

頭がぼーーーっとしていって


『自分なんてどうなってもいい』

『このまま死んだらみんな心配してくれるかな』

そんなことばかり考える日々でした。

 

 

 

  原因不明の胃腸痛

 

29歳になって、原因不明の胃腸痛が起こります。


病院で胃カメラやエコー検査をしてもらうが原因がわからず、薬も効かない。
常に、喉を誰かから押されているような感覚で気持ち悪くて吐いてしまう。
良くなったり悪くなったりの繰り返しで3か月で10㎏痩せました。

大好きなごはんやお酒も飲めなくて・・・

でも現実から逃げたくて胃が痛くてもお酒を飲んではオーバードーズを繰り返していました。

30歳で旦那さんに出会い、31歳で結婚。

 

尼崎市から滋賀県に移るため退職。


仕事のストレスから解放されても胃腸痛は治らず、家事がほとんどできず寝てばかりでした
仕事もできない
家のこともできない

自己嫌悪でさらに体調は悪化。
何を食べても気分が悪く水さえも飲めなかった。

どんどん体重は減って38㎏になったとき、

見かねた母と旦那さんが大学病院を勧めてくれて、診てもらうことになります。

 

病院の勧めから検査入院をしました。

そして、36歳でやっと、
『胃下垂による胃アトニー』という病名がはっきり出ました。

胃が骨盤まで下がるほど下垂していて、そのことが原因で起こる症状だということでした。

この病気は、薬による治療はなく、生活習慣を見直すように言われたので、


そこからは、自分自身の食事や栄養のことを勉強しました。
大好きなお肉や揚げ物、炭水化物もやめてお酒もやめました。

なるべく、野菜やお魚の和食を中心とした食事に切り替えて少しずつ改善していきました。


さらに毎日のウォーキングやヨガをして体調は良くなっていきました

 

 

 

 

  流産、辛い不妊治療

 

結婚後すぐに妊娠しましたが、流産。
その後、なかなか授からず、
サプリメントやハリ治療など、良いと言われるものはすべて試してきたが授かりませんでした。

『なんで自分だけ・・・』

そう思ってばかりの毎日でした。

34歳の時、元々あった子宮内膜症が悪化し、子宮内膜症の手術をしました。

そのあとは妊娠しやすい状態だと言われたけど妊娠せず再発・・・

子供のいる家庭がうらやましくてうらやましくて子供を連れて歩いている家族を見て号泣したことも。
友達の妊娠報告も喜べなくてだんだん嫌な人間になってしまいそうでした。

旦那とも意見が合わなかったり妊活に対する思いのズレがあるとすぐに悲観的になって泣いてばかりでした。

 

『結婚した意味あるのかな・・・』

『子供ができない私といるより別の人との人生を歩んでもらった方がいいんじゃないかな・・・』

 

何度も旦那に泣きながら離婚の話をしたこともありました。

 

 

 

でもその度に

『子供が欲しくて結婚したんじゃない、一緒に生きていきたいと思ったからや』

 

そう言われて

 

『あぁ・・・わたしは、何を見てるんや。目に見えないものばかり追い求めて目の前にある大切なものが見えてなかった・・・』

 

と、気付かされます。

 

もっと、見ないといけないものがあったはず。

今ある環境や周りにいる人に目を向けて

大切にしていかなきゃ・・・

 

 

そう思うようになりました

 

 

  子供のいない人生を考える

 

 

自分の持病のこともあり、

 

”もう子供は望めないかもしれない”

 

そう思ったとき


『自分はこのままどうなっていくのだろう』
『年をとって子供もいない、お金もない、仕事もない...』


”そんな人生つまらないな・・・”

 

 


そう思うようになってから

今後の人生について考えるようになります。

結婚したら子供がいることが当たり前な世の中で
子供のいない人生なんて考えたことがなかったけど


子供のいない人生をどう生きようか
自分の人生をこれからどう生きたいのか

どんな自分でいたい??


考えるようになっていきます

 

 

 

  わたしにできることって?

 

 

ピノのアトピーやアレルギーが食事で変わったこと


動物看護士時代、様々な病気が食事で改善されていった犬猫を見てきたこと


自分自身の体調も食事で変わっていったこと


"犬猫の手作り食を広めていきたい"

"病気で悩んでいるわんちゃんねこちゃんも食事で体は変えられることを伝えていきたい!"

"犬猫だけでなく、自分自身の体も大切にしてほしい"

そんな思いからYouTubeを開設。

たくさんの健康おやつを動画でお届けするようになって

『私たちも食べて美味しかったです』

『喜んで食べてくれました』

『素敵なレシピをありがとう』

など、嬉しいコメントがたくさんきました

次第にやる気がどんどん湧いてきて
もっとたくさんの方たちに届けたいと思い、
わんにゃん健康手作り食教室を開講。


チャコが亡くなったとき、
あのときこうしていれば・・・
もっとこうしていたら・・・
と後悔ばかりでした。

自分の知識があれば防げたであろう出来事で
未だに後悔は消えない。

みなさんにはそうなってほしくない!

何事も後悔のない人生はないけれど
後悔を減らせることはできる

それは

”知識を身につけること”

だと思っています

可愛いおやつを作る楽しさも大切だけど
学ぶことは愛犬愛猫の命を守ることに繋がります





・・・そんな思いから、
『わんにゃんと食べられる健康おやつ作りと犬猫栄養学講座』を作りました。


知識がないことで可哀想な犬猫をこれ以上増やしたくない・・・
私のように後悔した生き方をしてほしくない・・・


自分自身を傷つけてきた人生だったから

自分の体も大切にしてほしい・・・

わたしの講座を受けて、大切な愛犬愛猫の体調が変わったら。
愛犬愛猫と同じものを食べて私たち自身の体調も良くなったら。

そんな嬉しいことはありません。
私の想いがみなさんに伝わりますように・・・

長くなりましたが、ここまで読んでいただきまして本当にありがとうございます!

 

 

 

 

 

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