教科書では学べない日本に起きた本当の歴史。 | 凛として生きる「女性らしく今を大切に」

凛として生きる「女性らしく今を大切に」

子宮内膜症、子宮筋腫、卵巣嚢腫、卵巣腫瘍、子宮腺筋症、ポリープなどの婦人病を抱える病と向き合いながら体調管理や、女性として凛として生きて行く日々を綴った50代女性起業家のブログです。

何度でもお伝えしておきたい。
厚生労働省が添加物たっぷりの商品に
【健康マーク】を貼り始めるとのことで…


改めて、再度…
以前と同じ記事にはなりますが
書きたいと思います。


もしも今の日々の暮らしが
幸せだと感じていたとしたなら・・

または、
なんだか不幸だと感じていたとしたなら・・

過去の歴史からつづく
恐ろしい“鎖”の正体も、
やはりしっかりと
学んでおいた方が良いかもしれません。

知った上で選択する幸せを
大切にしていてほしいと願いを込めて書きます。

今のこの幸せは・・
先人の方々が遺してくれた愛情の形。

その愛情の恩をお返しできるとしたら・・
私たち子孫のひとりひとりが幸せであり、
心より感謝して大切に日々を過ごすこと・・

そんな心に目覚める人が
ひとりでも多く現れますように・・

日本にとって記念日でもある、
歴史の教科書でも少し出てきた
『サンフランシスコ平和条約』について
あまり多くの方が知らない
本当の事実について
書いておきたいと思います。

日本は、この条約の発効により、
終戦後約7年にも及んだ連合国の占領から
独立を回復しました。

昭和27年4月28日のことです。

戦後、日本は
連合国の占領下にあったのです。

恐らく現代では、
こうした事実があったことも
知らない人が増えていると思います・・・

命を使ってこの国を護りたくて
闘った方が多くいました。
戦争を行った日本の過去は
ご存知でも敗戦後、
この日本に何が起きていたか・・
なかなか学ぶ機会はありませんでした。

そこで少しだけ・・・お伝えしたい。

日本の今の平和は、
そんなに簡単なものではなかったことを。

その証拠の文章があります。

『連合国が如何なる点においても
日本国連合国を平等であるとは
見なさないことを明快に
理解するやう希望している。

日本は文明諸国家間に
位置を占める権利を容認されていない、
敗北せる敵である。

諸君が国民に提供して来た
着色されたニュースの調子は
今も最高司令官が日本政府と
交渉しているやうな印象をあたえへている。

交渉というものは存在しない。
さうして国民が連合国との関係における
日本政府の地位について誤った観念を
持つことは許されるべきではない。

最高司令官は日本政府に対して命令する。
しかし交渉するのではない。
交渉は対等のものの間に行はれるのである。

しかして、
日本人は彼等が既に世界の尊敬や
或は最高司令官の命令に関して
折衝することが出来る地位を
獲得したとは信じさせてはならない。

日本国民に配布される総べてのものは
今後一層厳重な検閲を受けるやうに
なるであらう。(占領軍トップのマッカーサー元帥の言葉)』

これは、
当時のGHQの占領政策による
情報遮断プログラムとも聞きます。

この検閲の存在自体を
秘匿することも義務付けられていて、
国民は知りませんでした。
前代未聞の情報遮断プログラムであったと
いえるかもしれません。

また、催眠・洗脳の権威である
スタンフォード大学の
ヒルガード教授もかかわった
可能性があると推測される、
「War Guilt Information Program,WGIP」(戦争罪悪感情動プログラム)
というGHQのプログラムもあったようです・・・


WGIPでは、
日本の戦争責任について
日本人に広く罪悪感を
刷り込むことが目的であったことが、
近年、米国の情報公開法などで
少しずつ明らかになってきています・・・

この情報遮断プログラムでは・・
連合国に対する批判や
極東軍軍事裁判に対する批判を禁ずる
といった内容に加え、
検閲制度そのものの存在について、
出版、映画、雑誌等が
間接的にも言及してはならないと
なっていることです。

こうしてメディアは、
国民に何も伝えることが
できなくなりました。

戦後、7年間に渡り・・
日本の善き心の教えも奪われ、
戦争に対して罪悪感を刷り込む教育が
起きたとされる歴史があります。

現代になって戦争の事実については、
闘いを望んで闘ったわけでは
なかったこと・・

やむを得ず、
命を捨てて闘った先人たちがいた事実も
ようやく、こうした文書が
公開されることとなり
はっきりと近隣の独立を果たした
アジアの国々からも
日本の闘いのことについて
聞こえてくるようになりました。

自分たちの愛する人たちを
占領から護るために…


そんな日本の闘いも、
実は存在していたのです。

昭和26年9月8日調印、
昭和27年4月28日発効の
サンフランシスコ講和条約(San Francisco Peace Traty)で
日本は独立したとされています。

その後の私たちは
教科書などでも学んできてはいますが・・

本当にこの情報プログラムや
洗脳プログラムが存在して
また解放されているかどうかは・・
はっきりと言えないかもしれないと
思っています。

原爆で被爆した方達を診てきた
被爆医師の肥田 舜太郎(ひだ・しゅんたろう)内科医師も
その当時のことを語られています。


テープを起こしましたので、
一部を載せたいと思います・・

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『私は今ご紹介いただいた、
肥田舜太郎という内科の医者です。
94歳ですからあんまり確かなように
話すことが出来ないかもしれませんが、
みなさんに、みんなが教えられていない、
広島長崎原爆の本当の被害の中身を、
短い時間ですが、簡単に分かるように
お知らせをします。

ご承知のように原子爆弾は
放射線のエネルギーを元にした爆弾です。

今までの日本、世界中の人々が
持っていたどんな兵器とも全く違う、
放射線というものを燃料に使って
爆発させる。

ですから、その被害を受けた人は、
やけどをしたり強い爆風で
吹っ飛ばされたりする被害の他に
放射線が人間の体を色々と壊します。

直接爆発した下にいた人は、
いわゆるピカを浴びた人は、
頭の毛が抜けたり血を吐いたり、
体に他の病気では出ない
紫色の斑点が出たり、
特殊な5つの症状で直後に、
頭の上で爆発した放射線を浴びた人は
たくさん死にました。

ところが、放射線は爆発した
その町に残っていて、1つは、地面の上に
降り積もっていた放射線の粒子、
粒を人間が触ったり歩いて飛び立った
ホコリとして吸い込む。

また水源地が侵されて水の中に
たくさんあるのを飲む。
それからあのきのこ雲という
舞い上がったあの雲は、
爆発の時に参加しなかった
生のままのプルトニウムとか
ウラニウムという放射線の粒が
あの中にいっぱい詰まっていて、
それがいっぺん成層圏まで舞い上がります。

しかし小さな粒でも
重みがありますから、降ってくる。

だから後からオヤジを探しに街に入った
4日後に妹や弟の様子を見に入った、
自分は爆発とも何の関係の無い人が
後から街に入ったために、
広島でも長崎でも
今の医学では診断の出来ない
不思議な病気がおこって
大変苦しみました。

それで大部分の被ばく者は、
今から10年ほど前から今もそうですが、
50年60年経ってから
癌や白血病という悪性の病気で、
今、どんどん死んでいます。

つまり、戦争の終りに被爆をした人が、
60年も生きて、その生きてる間も、
健康で過ごせたんのではなくて、
しょっちゅうお医者さんに行って
入退院を繰り返す。

だけども病気の本体はよくからない。
そういう事で苦しんだ人が
最後はがんや白血病で命を取られる、
放射線はそういう性質を持っているのです。

ところが落としたアメリカは
直接ピカを浴びて、やけどをしたり
大怪我をした人たちが
そういう強い放射線で殺される、
これは隠すことが出来ないんで、
そのまんま認めたんですね。

ところが後から街へ入った人が、
今の医学ではわからないいろんな病気で
苦しんだとうことを聞いても、
それはその患者を診た医者が、
原爆のことを悪くいうために
デマを飛ばしているんであって、
体の中に入る僅かな放射線は
全然害がないということを、
広島から爆弾を落としてから1ヶ月と2日目、
アメリカのあの爆弾を作ったグループの
一番TOPの人から2番目という
偉い軍人が来て、
まだマッカーサーが日本へ
上陸する前に焼け残った
東京の帝国ホテルの前に、
外国から来ているジャーナリストを集めて、
つまり微量な放射線は体に入っても
何にも害はないんだということを
世界に向けて放送をし、
日本の政府に向けてもそれを承知しろと。


で、広島長崎で被害をうけた被ばく者は、
アメリカの軍事機密である
原子爆弾の秘密の一部を
自分の体で知ったわけだから、
これはアメリカの軍事秘密だから
絶対に人にしゃべってはいけない、
それから書いて残してもいけない、
もちろん写真や絵で書いてもいけない、
もし違反した物は厳罰に処すと、
占領政策に最初にそれを
日本で宣言したんですね。

だから、広島長崎で被ばくをして、
兄弟も親もみんな死んじゃった、
財産もなくなった、行き場もない、
そこら辺で倒れて寝っ転がっていた
たくさんの被ばく者が、
私は広島長崎で原爆で
原爆を浴びてとても今困っています、
助けて下さいっていうことが
言えなくなった。

これはアメリカが日本に
原爆を投下したことも
大変な罪悪ですけれども、
それにもまして戦争が終わって、
自分の落とした爆弾で、
医学でなおしようもないという
大変な病気を追っている被ばく者に
生きる道を閉ざすような
大変悪いことをアメリカはしました。

それは自分だけが持っている
原爆という新しい爆弾の秘密が
よその国に漏れることを
非常に恐れたからです。

みんなも知ってるように、
アメリカ軍は戦争が終わってから7年間、
アメリカの鉄砲を持った兵隊で、
実際に軍事占領をしました。

私たちは戦争で負けた上に、
食べ物もない、うちも焼けてない、
という中から日本の国を
新しく作るために一生懸命働きました。

私は医者ですから、
自然に被ばく者をたくさん
診ることになります。

日本の医者の殆どは
アメリカの言う事をそのまま信じて、
後から街へ入った被ばく者が、
かったるくて動くことが出来ない、
他はなんともないんだけども、
元気で働いていたら、ある日突然、
大変なダルさがおこって
会社へ行けなくなった。

3日も4日も続いてやっと軽くなったから
会社に行ったら、
その翌月また同じことがおこって、
要するに会社や工場で働き続けることが
出来ないという患者が
いっぱい出たんですね。

ところが日本の医者は、
大学の教授から街の先生から、
特に広島長崎の医者はみんなそうでしたが、
アメリカから特に被ばく者を
一生懸命診るような医者は、なにか
アメリカに含むところがあると考えると睨む、
お前たちはそういう意味で
アメリカから目をつけると言われて、
被ばく者を親切に診るということも
困難になった。

つまり、他国の軍隊に占領されて、
自分の国の政府も役人も
何の役にも立たなくなった、
そういう状態に、私たち日本人は一度、
7年間苦しみを味わいました。

私は銀座で、
酔っ払ったアメリカの兵隊が数人で、
公然の場所で、女性をレイプする現場を
見たことがあります。

日本の警官がそばに立ってても、
ちょっとでも???ば殴り殺される、
そういう占領を我々は受けたのです。

しかも、今の医学では
全く診断も治療もできない、
新しい原爆病という病気、
この病気の患者を研究をすることも、
日本の学者は、禁じられました。』

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添加物だらけの食材、
多くは外国からの輸入。

テレビでは多くの小麦や肉を初めとして
美味しそうなグルメ番組や、
様々な娯楽番組などで今もなお、
多くの食材を外国から輸入して
消費するように洗脳されている気がしてしまいます。

そして戦後に生まれた世代は特に
もう過去の歴史を学ぶ機会は
減って難しくなっています。

現代の異常な面が
多々溢れてきているような面も
どうしても過去の歴史とは
切っても切り離せない・・

そんな何かがあるように、
思えてなりません。

あくまでも、
私一人の個人の見解でしかありませんが・・

話は戻して。

サンフランシスコ平和条約は、
日本と連合国49カ国との間に調印されました。

本当はもっと多い
52カ国が講和会議に参加したのですが、
当時のソ連、チェコスロバキア、ポーランドは調印しませんでした。

この条約が結ばれる少し前から、
世界の二大国となった
アメリカとソ連が対立するようになり、
それぞれの国を中心として
国際社会は二つの勢力に
分かれていたことが理由です。

ヨーロッパでは
1948年からドイツが東西に分断されていて、
1951年時点でも、
朝鮮半島で二つの陣営が
戦争をしていました(朝鮮戦争)

戦争をした全部の国と
講和条約を結ぶことを
当時は「全面講和」と言っていました。

全面講和を強く主張した人たちも
多かったのですが
吉田茂首相はこれが
現実に合わないと考えて、
結果は一部の国とは
講和条約を結ばない
「多数講和」になりました。

平和条約を調印するために、
1951年9月4日から開催された
サンフランシスコ平和会議では、
吉田茂首相が受諾演説をしました。

ちなみに平和条約調印と同じ日に、
アメリカとの間では、
日米安全保障条約も調印されました。

4月28日という日は現代では
ゴールデンウイークの始まり…
けれど実はその幸せは…

日本を護るために
本当に命を費やして闘った
数多くの英霊の方たちに
報いることができたと言える、

昭和26年9月8日調印の
サンフランシスコ平和条約は、
昭和27年4月28日発効されたという、
日本の独立記念日の日でもあるのです・・

少しだけお伝えしておきたくて、
少しでも知っておいていただきたくて
書きました。


こうしてお伝えして行くことが
この国の平和を何とかして護ろうとした
そんな使命に関わった
多くの先人の方々の恩にお返しできる・・
唯一の方法だと女心に悟り心に置き、
日々を大切にこれからも、
生きていこうと思っております・・


どうぞ善き目を養い、
身近な人を心から命をかけて
大切にできる日本人として…

皆様が幸せな暮らしを築けますように。


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★追記
ちなみに、
サンフランシスコ講和条約の
最後の一文には、こうあります。

"DONE at the city of San Francisco this eighth day of September 1951,in the English,French,and Spanish languages,all being equally authntic,ando in the Japanese language.”

all being equally authentic…
つまり「全て等しく正文」であるのは、
英語、フランス語、スペイン語版
だけなのです。

その後にカンマで区切られて
and in the Japanese language
となっています。

訳せば
「1951年9月8日に
サンフランシスコ市で成立した。
英語、フランス語並びにスペイン語
各版において全て等しく正文である。
そして、日本語版も作成した。」

と書かれているようです。
つまり条約として有効なのは、
英、仏、西語の文章のみであり、
日本語訳はあくまで参考ということに
なりそうです。

ところが、和訳では、
「1951年9月8日にサンフランシスコ市で、
等しく正文である英語、フランス語
及びスペイン語並びに日本語により
作成した」とされている。

これでは日本語版もまるで
正文のように日本人に読ませる
訳文だそうです。

1951年10月26日には、
衆議院でこの日本向けの
和訳文である講和条約の
「日本語正文」が承認されていますが、
実際のところは「日本語正文」
というのは存在しないようですから、
正式には国会は、
サンフランシスコ講和条約を
批准してはいないということに
なるのかもしれません。

条約として有効な英語、フランス語、
スペイン語版の条約原文と、
日本人に「独立国」としての
幻想を与えるための条約文としては
正文ではない、日本人向け超訳版というのが
分けられて作られていたと…
そういうことだとしたら・・

これが憲法なら原文が英文でも
日本の国会で成立すれば
その日本語訳が効力を持ちますが、
条約は英、仏、西語のみが
効力を持つのですから、
条約の原文を読む限りでは、
調印した国連各国は、
日本を独立国家として承認しているとは・・

見えない気がします。

もしも現代でもそのままだとしたら・・


本当に日本という国は、
独立しているのでしょうか…。


いろいろと調べたり考えると、
身震いするほど恐ろしいことを知る。

とにかく、
スーパーでは添加物の入っていない
そんな自然な食材が見当たらない。泣

自然栽培の日本の野菜を仕入れて、
心身共に健康で幸せでありたい…

しかし近年では
それもTPPによってより一層
難しい縛りが出来ました。


日本の古き善き教え・・
そして身近な人を思いやる強き心、
日本人独特の思いやりの心を
しっかりと学んで惑わされぬ芯を
築いていたいと願う今日この頃です。



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