保護猫日和ちゃん⑮旅立ちました | 神戸アニマルレスキューpinky

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2019年6月に『神戸アニマルレスキューpinky』を立ち上げました。主に野犬のレスキューをしています。みんなで1つになって1匹ずつ助けましょう‼

今日4月22日(日)夜20時50分頃
やっと苦しさから解放されて、旅立ちました。

この写真は
4月18日のものです。
トップには可愛い写真を載せてあげようと思って。

どんな風に書いたらいいのか、分からないんですが、とにかく最期まで頑張り抜いた「強い猫」でした。


もう一度美味しい物を食べさせてあげようと2週間効く抗生剤とステロイドの注射をしたら、期待に応えてくれて、6日間よく食べてくれました。7日目の先週の火曜日の朝、少しチュールを食べてからは、食べなくなりました。
帰宅したら、眼球がほんの少し揺れていました…。ついにきたか…と思い、往診の先生にお世話になり、痛み止のシロップだけを処方して頂いたんですが、やっぱり眼球が左に流れて右に戻そうとする動きが出ていて、脳転移だと思う、肺の音も悪いと言われました。
眼球が揺れる症状は老犬には多いんですが、耳の奥からきている時と、脳自体がダメージを受けている場合があり、耳からきていると多少改善させる薬はあるけど、脳の場合は、ステロイドしかないです。眼球が揺れると、船酔いみたいな感じらしくて、食べなくなります。
肺に転移もしているから息苦しい。

点滴をする
酸素室に入れる
もう一度ステロイドを注射する

そうする事が本当に日和の為になるのか?と考えたら、先生と同じ考えで、私も無治療を選びました。

ただ、痛みだけでも取ってやりたくて、口の粘膜から吸収する、甘いシロップを混ぜた痛み止を口に垂らす事になりました。

でも、3日間くらいしか出来ませんでした。
段ボールに追い込む形でスプーンで薬を口に近付けてあげてましたが、ヨダレを出して嫌がるようになりました。

食べないから抗不安薬のホリゾンも飲ませられなくなり、脳転移と体の不調で機嫌も悪く、最後まで警戒心が取れませんでした。

私の勝手な愛情で苦しめてはいけないし、嫌がる事は全て止めました。触ることも。

毎日毎日、隅にフセをして耐えていた日和を、何度も何度もそっと戸を開け見に行き、最低限のお世話だけをしました。
オシッコをかろうじて夜中に1回するだけでした。
朝起きた時、部屋に入るのがイヤで、布団から出たくなかったです。

慣れていない事で、やっぱり何にも出来なかったです。3か月弱じゃ短すぎて、もう少し健康に生きていて欲しかったです。

ケージの天井に上がれなくなった日和は、勝手口の前にフセをするようになりました。
外に行きたかったのかなぁ。
冷たい板の上が良かったのかなぁ。


頑張ってとも言えず
もう頑張らなくてもいいとも言えず
大丈夫?と聞いても、大丈夫じゃないし。
「賢いな~」
「頑張っとうな~」
「えらいな~強いな~」
「大好きよ❤」
寝るときは
「おやすみ~また明日~」

それが、今日は、いつもと違う場所でフセをしていました。




夜になり
20時半、珍しくオシッコが出ていて、これが最後に頑張ったオシッコでした。
日和を見たら、開口呼吸をしていました。
それでも、片付けたり色々していたら、ケージの段ボールに逃げ込む日和。
私のワガママで、何日ぶりかに触らせて欲しいと手を出すと、シャーパンチされました。
「ごめん…」

「ひとりがいい」と言ったので、電気を消して薄暗くして私はリビングに。
でも心配で、そっと覗いたら、ケージの前に座って、必死に最後の呼吸をしていました。
これが最後の写真です。
迷いましたが載せます。


必死に生きている邪魔をしてはいけない、よけいにしんどくなると思ったので、部屋には入らず、リビングで洗い物をして気をまぎらわして、また覗いたら、倒れていました。


やっと抱けました。
やっとゆっくり全身をなでなで出来ました。

憎いガンは、全身にありました。

世の中に何匹もいる中のたった一匹の怖がりな猫でした。
初めての猫の一時預かりの子がガンって信じられない…。でも、どんな子が来てもいい、決まらないなら最後までいたらいいと決めて迎えに行ったから、全然大丈夫でした。
日和を迎えに行った時、雪が舞っていました。
私の元に何故来たのか、この子の死を絶対に無駄にしたくないと思います。

どれだけ悪い環境だったとしても、住み慣れた故郷と仲間と飼い主を失って、たったひとりで知らない場所に移動させられて知らない人に世話をしてもらい、誰に甘える事もなく、3か月で死にました。

この沸き上がる怒りと悲しさは、助ける喜びに変えて、明日からはまた頑張ります✨


日和、ごめん。

ありがとう❤