TAKAです


今日は先日ミキと取材を受けてきた、スポーツ報知の新聞に掲載されました。



もう記事を読んでくれた人や、私たちのブログをチェックしてくれているみんなは、私達が去年やった「一夜限りの復活LIVE」や、9/22の東京・渋谷「TSUTAYA O-WEST」でやる25周年を記念したLIVEをやる意図を理解してくれているのだと思います。


今日新聞の記事を見て、少しホッとしたんだけど・・
私のスポーツ新聞のイメージは、面白可笑しく取り上げられて、本意はきちんと書かれていない事を恐れていたのだけど・・
記事の内容を見て、ちゃんと話した事が書かれていた事に安心したんです。


私ね、、未だに病気の事を思い返したり言葉に出して説明すると、胸が熱くなって悲しくなって涙が出てしまうのです。

だから、取材中も何度か言葉が詰まってしまって、きちんと話せなかったんだけどミキが横にいてフォローしてくれたから、話す事が出来ました。。
いつも私の代わりにメンバーにフォローしてもらっているけど
私の口からやっぱりちゃんと言うべきかな・・


私一度だけね・・

生きているのが辛いって思った時があったんだ。。

でも、、今は生きていられる幸せに感謝してます。


みんなも知っているとかと思いますが、2011年の12月に乳がんの告知を受けました。
そして2012年の冬に大切な胸を失いました。
ステージIII B期の進行乳がんです。
末期がんのちょっと手前で手術も治療もギリギリできました。
実はその前にずっと望んでいた赤ちゃんも流産してしまい
やっと少しずつ傷が癒えてきたところへ、今度は胸まで失ってしまったのです。
そして抗がん剤治療をしている時に、大好きな父が重度の認知症で家族全員で地獄のような介護生活をしたのち死んでしまった事・・
私は、、その時生きている感覚を失いそうになりました。


友達も失いそうになったよ・・
乳がんの手術で胸を失ってからは

友達が心配してくれて連絡をくれるのに私は人と話すのも辛くて
「今は癌の事も触れたくないし、構わないでほしい」と連絡を全て断ち切ってしまった事もありました。

抗がん剤の治療は毎日眠れない程の痛みに苦しめられたし
一番辛かったのは副作用で髪の毛やまつ毛・眉毛など、全身の毛が抜けてしまい
爪もボコボコで剥がれそうになって、顔の色は土色してました。
鏡にうつる自分の姿を見ては、家中の鏡を壊したくもなりました。


そして私の母は病気でもないのに、父の介護と私の病気とストレスで髪が全部白髪になってほとんど抜けてしまったんです。
ストレスで小さな円形脱毛症になった人は見た事があるけど
全て白髪になって抜けてしまう人なんて見た事もないです。
いつもお洒落を楽しんでいた母だからこそ、そんな母を見るのも辛かったです。


そんな時ね、、
ピンクサファイアのサポートドラマーの利ちゃんに、背中を押してもらったんです。
私がずっと料理本を出すのが夢だと覚えていてくれて
ライターさんを紹介してくれたのがきっかけで念願の料理本を出版する事が出来ました。
その時やっとまた頑張らないと!って思ったんです。
でも料理本を出す時も凄く大変でした!
まだ抗がん剤の治療をしていた時だから
私の体調が良い時でないと料理も作れないし・・
でも、出版社の人も気長に待っていてくれて
レシピ本が少しずつ出来上がっていった時は本当に嬉しかったです。
料理本を出版できる!という夢が叶いそうになった頃から、私の中でもまた少しずつ笑えるようになってきて頑張って生きたい!って思うようになってきました。


それから少したって
アヤからメールがきたんです。
ファンの子から私の病気の事を教えてもらったみたいで
心配してメールをくれたんだけど
私の体調の良い時にでも、東京に行くから会えないかな・・って
ミキもハルミも誘って4人で会わない?と言われた時は
正直迷ってしまったんですよね。
久しぶりに会うメンバーに、髪の毛が抜けてしまってウィッグをかぶっている自分を見られたくなかったのと約20年ぶりに会って、会話ができるのかが不安でした(笑)

でもね、前にブログでアヤが言っていたように
20年ぶりに会うメンバーは全然変わってなくて
まるでつい最近まで一緒にいたかのような錯覚さえおきました。
ピンクサファイアは途中でアヤとハルミが脱退してから
ミキと私の二人で新しいボーカリストを加えて活動もした事があったけど・・
やっぱりアヤ・ミキ・ハルミ・タカの4人がピンクサファイアなんだな!って実感した1日でした。

この時、またギターを弾いたら楽しいんだろうな・・って思った。 
その気持ちが強くなったからかな・・
私は酔っていて覚えてないのだけど(笑)
ドラムの利ちゃんに「私LIVEやりたい!」って泣きじゃくったみたいで
そしたら5日後に利ちゃんから電話が来て
「メンバーも集めて小屋も押さえたからLIVEやるぞ!」って・・(笑)
それが2013年の4月にやった池袋のLIVEです。
その時に丁度アヤから「LIVE見にいくよ~」って連絡があったので
「来るなら2~3曲歌ってよ!」って頼んだら「いいよ!」って

本番までアヤとは一回も音合わせが出来なくて
当日のリハで一回合わせただけでしたが
久しぶりにアヤの横でギターを弾いて
あぁ、、この感覚だっ!って思い出しました。
その時のステージにはアヤしかいなくて
ミキもハルミも会場で見ていてくれたんだけど
私の気持ちの中では、もう一度この4人で音を出してみたいと願ったんです。
その願いが通じたのかな(笑)
それが去年の一夜限りのLIVEなんです

仲間のミュージシャンと旦那さんのバンドであるコルベッツにもサポートしてもらってのLIVEでした。
私はあのLIVEで色んな愛を感じました。
仲間達の愛・ファンの皆さんの愛・家族の愛・・
あの一夜限りのLIVEは愛に包まれていました。
そして私はあの日を最後に、ピンクサファイアの曲はもう弾かないのだな・・って思い
これで少し安静にして、体を休めようかな・・って


また、病気の事を書いてしまうけど
私はまだ治療中の身で、悲しい事に毎日痛みのない日は無いのです。
癌の右脇への転移も多かったため、右脇のリンパも沢山取ったために
リンパの流れが悪くなって、右腕だけ浮腫んでしまって今では左腕と比べるとふた回りぐらい太く浮腫んでます。
右腕の指先から肩、そして右半身はずっと痺れと痛みがあって、精神的にも少し辛いかな・・
リンパ浮腫になってしまうと、重たい荷物も体を締め付けるような服も着れない
少しでも疲れてしまったり、ストレスが溜まるだけでどんどん腕は浮腫んでしまう・・

そんな状態だから、今度の25周年のLIVEの話が持ち上がってきた時は
私はもうステージに立つのは無理だし、ファンの皆さんに楽しんでもらえる演奏はできない・・って思ってました。
だからメンバーとこの話をする事があったら、その気持ちをちゃんと伝えようと思ったのです。


いつだったかな・・
アヤとミキとサポートドラマーの利ちゃんの4人で、スカイプをしながら25周年のLIVEの話をしようと言う事になって
私はその時、もうLIVEをやるのは無理かな・・と言いました。
理由は去年「一夜限りのLIVE」をやったのに、また今年やるのか!という事と
私が今抱えている体調の事と、私がギターを弾く事で迷惑をかけてしまう人がいる事とか・・
私がギターを弾くという事は、荷物をスタジオまで運んでもらったり人の手を借りないと無理なんです。
ギターは治療をしていない左肩にかけるから持てるけど、エフェクターや荷物を全部左手で運ぶ事も出来ないし・・
もう迷惑はかけたくない!!と、3人に話ました。
だけどその時ミキに怒られたんだよね・・
「さっきから聞いているけど、タカは何でそんなに弱気になっているんだよ!」
「タカがもし30%の力しか出せないなら、他のメンバーが支えればいいんでしょ!」
「途中でギターを弾くのが辛くなったら、休んでるかサポートギターに頼めばいいじゃん!」
「タカがギター持ってステージにいなかったら、ピンクサファイアじゃないじゃん!」って・・
私、、その時ミキやアヤには黙ってたけど、スカイプをしているPCの前で声を殺して泣いていたんだよね。。
今だから言えるかな(笑)

ミキの言葉は私には重く響いたんだよね。
アヤとハルミがバンドを脱退した後も、最後まで一緒にステージに立っていたのはミキだし
よく二人でバカもやったけど、バンドの事をいつも真剣に語り合っていたからさ・・
だから、、またギターを弾いてみようと思ったのです。


これで25周年のLIVEも・・ではない
もう一つ話をしなければいけない人がいた・・旦那さんです。
彼は私が「一夜限りのLIVE」が終わって落ち着いてくれると思っていたから、きっと私が25周年LIVEをやりたい!と言ったら首を縦には振らないだろうな・・っと
駄目!!って言われる事を承知で、真剣に話ました。。
そしたら「あんたはヤル!って言い出したら、俺が止めてもやるんでしょ・・」
少し沈黙があったけど・・「じゃあ、俺がギターをサポートしてやるよ!」って言ってくれました。

私さ、、癌という病気になった事は、めちゃくちゃ悲しいけど

でも、、そのおかげで色んな人の、いっぱいの愛を感じるようになったのも事実なんだよね


25周年LIVE・・きっといっぱいの愛に包まれると思う。


もう一夜限りなんて言わない・・