MLBが、開幕して
大谷選手が普段より注目されている。
何やら別の事柄も注目されているようだが。

スポーツの世界は勝負の世界。
それが強く求められる。

勝ちと負け。

人間ってどのくらいの時に、
それを意識するようになるのか?
それともそういった教育とか、
もしくは、
何らかの、誰かの影響を受けるのか? 

私の記憶だと幼稚園児のころから
そういうのがあったと思う。
他者に対して高圧的、
自分の我を通す。
引かない、引こうとしない。
当時の言い方からすると、
ガキ大将というやつ。
体育の時間とかでも授業の一環で
やった球技の試合でもさ
やたらと勝ちにこだわる。
まだ小学生なのにもうそんなこと
やっている。

どこでこういった差がでるのだろう?

私は?
私はというと勝負事が大嫌いなタイプ。
今思うと両親のケンカの板挟みになって
いたし、ケンカしないように
感情を逆撫でしないように振る舞っていた。
まぁ、それは関係ないかもだけど、
他人と競うのを避けていた。
どんなことも。
だから、スポーツも嫌い。
剣道を無理矢理やらされていたけど、
試合もしたけど勝敗はどうでもよかった。
一時期、総合格闘技を習おうとも思った
時期もあった。その時は漠然とだけど、
強くなりたい。負けたくない。
そういう気持ちになった時もあった。
交代勤務で時間が合わなくて諦めたが
、筋トレとかはやっていた。
メンタルが弱く強くしたい気持ちは
あったんだろうね。

ライバルがいてお互い競い合えば、
ともいうが、どうなんだろう。
私はライバルよりも、
互いを助け合える、
同じ方向を見てる、
相談できる、
一緒に歩いていける。
そんな人が欲しかった。

これは私がひねくれた
見方してるからかもしれないのだけど、
勝ち負けにこだわりすぎて、
スポーツのみならずビジネスでも何でも、
不正を行ったり、裏でなんかやったり、
他者を踏みつけにしたりとかしてる
ように見えるのだけど。
あと、自分は勝ち組です。って人、
だいたいが他者を見下してる態度が
垣間見える。(私の偏見入ってます)

私は今の時代の価値感から言ったら、
敗者。
負け組。

仕方ないね。

今に始まったことでない。
生まれた時からすでに決まっていた。

自分が勝った時、それはいつか。
それは何らかの幸せを掴んだ時。
誰かとの勝負でなく、
自分の中でそう感じたときなんだと
思う。

そういえば、
なんで私はこうも勝ち負けに
こだわらなくなったんだろう。

たぶん、褒められるって経験が
無かったからじゃないかな。
褒められれば、さらに頑張る。
頑張って結果出せば、
認められ、報酬もあったりする。
だけどその過程で競合する相手が
出てくる。
それが、勝ち負けのこだわりにつながる。
すべてがそうでないにしろ
私にはそういうのなかった。
常に優秀な人と比べられ
ダメ出しされる。
言わば同じラインに立たせても
もらえなかった。

結果、勝負以前に
努力しても無駄ということになったの
だと思う。