そういえば高校入試の時期だったね。

私は…、もう何十年前のことか。

前に書いたが、大学に行くつもりはなく、
高卒後は就職するつもりだったから、
普通科でなく、工業高校を選択した。

相談する人も、アドバイスしてくれる人も
いない。
独断で決めた。
ただ、悪かったのは必要な情報をしっかり
集めなかったこと。
独断ゆえに視野が狭く、考えも安易、
情報を集める手段もわからない。
それができる人間だったならば、
しっかりした人間になれたろうに。

工業高校には推薦入試があった。
面接だけ受けて、それで受かれば
合格というもの。

推薦だけに、ある程度以上の成績を維持し
それでいて先生方に推薦してもらって
受験資格を得ることができる。

今思えばさ、よく推薦してもらったよなって
思う。
私が受けようとした科は
私の記憶では当時、
目安の偏差値が当時62くらいだったと思う。
もしかしたら思い違いかもしれないけど、
私が聞いたのはそのくらいの数値だった。
少なくとも、私はそこまで達していなかった。
背伸びしちゃった。
己を知らぬ愚か者な私。
誰か指摘してくれればいいのにさ。

で、試験は落ちたよ。
ろくに面接の練習もしてないし、
下準備もしていなかったし、
例によってアドバイスも情報もないまま。
だから当たり前だよね。
心の中でさ楽して受かろうっていう
安易な気持ちもあったしね。
面接でもしどろもどろになってたよ。
ただ、何の協力もしてくれなかったのに
両親には落ちたことに対して
ボロクソ言われた。

落ちたから終わりではなく、
普通入試で試験を受けることになる。
今もそうなのか知らんが、
滑り止めというのがある。
本命が落ちた時のための保険というのか。
私は滑り止めはしないって言った。
落ちたら働くと。
そうしたら両親は滑り止めを受けろと。
高校は出ておけと。
私のことを考えてのことなのか、
世間体を気にしてなのか。
(私はおそらく後者だと思っている)

受験勉強、ろくにしなかった。
もうこの時には、自分はダメ人間だと
思っていたし、努力しても無駄だと
感じていたし、がんばっても良い結果に
ならないと感じていたし、
親や他者からもそういう
扱いされていた。
導きも無かった。
何より自分で動くことも考えることも
しなかった。
いや、できなかった。わからなかった。

勉強するつもりだったのに、テレビを
つけたら、映画 バックトゥザフューチャー
がやっていたから勉強そっちのけで
観てた記憶がある。

ああ、試験は受かったよ。
ラッキーだった。勉強したところが
多く出たから。
逆に言えばろくに勉強しなかったせいで、
先の偏差値のこともあるが、
入学後ついていけなくなる。
早々に落ちこぼれる。

一番の後悔点は、
推薦入試で落ちた時に考え直さなかったこと。
私が受けたのは情報科。
つまりコンピュータ関連。
電気科、機械科に変えれば良かったと
思う。その方が資格にしても仕事にしても
選択肢は広がった。

そう思っていたけど、

幼少期から今の自分を見直してみて、

何の、どの選択をしても。
行き着く結果は変わらない。
決して良い結果にはならないと
感じてる。

結局は同じ道を辿って行くことになり
現在と同じようになるだろうと。

懐かしい思い出のはずが
苦々しいことを思い出してしまったね。

今はどうなっているのだろう?
もう30年以上も前のことだから。