1970年代、東京のベッドタウンとして、山々を切り崩して、大手デベロッパーが住宅地を造った。

しかし、都心に2時間かかる上、小さな宅地はなく、普通のサラリーマンには、手の届かない土地であった。

時間に縛られない勤め人か、自営業、大学教授や、引退した人たち。そんな顔ぶれでした。


そんな中で、関わって来た人々の話をしてみましょう。

小高い山の上に、広大な敷地、平屋のお金のかかった家。老夫婦が住んでいました。

なんで知り合ったのかなぁ?

社長を息子に渡して引退して、移ってこられた。奥様は、東京のど真ん中に実家があった。

私より、30〜40くらい上かな?息子さんが3人、皆私より年上。

小学校から、お金持ちの進む進学コースを歩んだらしい。ほとんど現れたことはないようで顔は知らない。


女の子がいないこともあって、不思議に私を可愛がってくれた。

突然、TELが来る。「お昼食べにいらっしゃい。パパちゃんが車で迎えに行くから」

しょっちゅうこんなお誘いがかかりました。


2人目ダメで、入院中も、話を聞いて、温かいシチューをにて、保温容器で届けてくださいました。


お雛祭りをしましょう。なんてこともありました。


パパの車、すぐにわかります。色、車種共に……

私また、免許を持っていなかったので、必ずお迎えに来てくれました。


近所の口さが無い人が、「お金持ちに取り入って、財産もらおうとしている」って、

言っているって聞きました。

ありえないことですよね。


すごいこと言う人がいるのだって呆れました。


ある日、ママちゃんが、庭に呼びました。「見てみて〜❗️崩れているのよ」

庭のはじが崩れていました。200坪以上ありましたから、問題ないのかもしれないけど、

さすが、お嬢様‼️笑って済んじゃうのだと思いました。


転勤になった時、お別れをして、戻ってくるとはいったのですが、

2年の予定が10年になり、帰って来た時には、引っ越された後でした。

車がなければ暮らせない土地。泣く泣く、東京に戻ったそうで、その後、お付き合いも止まりました。

もうお亡くなりになっているのでしょうが、可愛がっていただきました。

お年の割に、グラタンやシチュー、ちらし寿司。手間暇かけて造ってくれました。


お二人にとっても、楽しい葉山暮らしだったと思いたいです。