先日、継母との確執から家を出た話をしました。

楽しい話ではないですよね。

ちょっとそのイジメを書いてみようと思います。

嫌な人はスルーしてください。


息子も、ある時いじめも受けました。だいぶひどい状態でした。

バカな親は気付きませんでした。必死で戦って、逃げました。


私もいろいろな人に助けられ、落ちることもなく大人になりました。

今悩んでいる人たちに、少しでも、勇気を与えられればと思い書いてみます。


とりあえず、継母のこと。

6人兄弟の2番目。戦時中、両親と結婚している長男夫婦と全ての兄弟と田舎に疎開。

戦後、他の兄弟は、順次、進学、就職で家を出るが、彼女と、一番下の弟は、幼かったから、

長男のもと、居候として、生活。働きもせず、家事もせず。30過ぎてもそんな生活。

そこに来た見合いはなし。 子供がいても関係なく、飛びついて嫁に来た。

とにかく、家事ができない。料理がまるでダメ。覚える気もない。

結婚4年目に祖父が亡くなり、父が遺産相続すると、あちこちの土地を売り、散財が始まった。


中学校から、お弁当が始まった。料理嫌いな上に、愛情もない子供のために作る気はない。

ハム一枚か、ウインナ一本。卵焼き。なぜか、薄切りきゅうりが一枚。毎日同じ内容。

高校になると、私が一番に家を出るため、まだ、ご飯が炊き上がっていない。

私のために早起きすることもなく、父の時間に合わせて起きてスイッチを入れる。

もちろん、朝ごはん抜き。お弁当も無理。昼食代、70円を渡される。

菓子パン一個買うのが限度。そんな生活。


お小遣い、といっても、文房具のほかに、下着、ストッキングなども賄うのに、月500円。

間に合うはずありませんでした。おばあさんがいなかったら、どうなっていたか?

高校に入ってから、単発で割りのいいバイトがあり、バレることもなく、暮らしました。

私がどうしているかなどと親は、考えなかったようです。

能天気な父は、「母さんはよくやっている」と全て、おんぶに抱っこ。


祖父母もいて、厳格な家に嫁に来て、その憂さを私にぶつけました。

夕食が終わると、食器の片付けに私を呼ぶのです。

今のようにダイニングキッチンではありません。台所の声は聞こえません。

私に難癖をつけて、怒るのです。

その時は、ずっと一緒に暮らしてきた兄夫婦の姪や、知人の娘などを引き合いに出して、

私の悪口を言うのです。

それが苦痛になって、高校生になると、8時前には帰らないようにしました。

いつも行く喫茶店で時間を潰して帰る。大学生がいつもたくさんいたが、

時間になると、必ずバス停に送ってくれた。早く帰れと……


周りに助けられたと思う。

こんな暮らししていたら、いくらでも、堕落したと思う。


その時、「あの女のために、自分の人生潰したくない」そう決意して、家を出ることを考えた。

あの時代、子供には、「児童相談所」や、相談できるところは考えられなかった。

中学生の時、保健室の先生にだいぶ助けられました。


今悩んでいる人に、誰か相談できる人を見つけて前に進むこと。

助けを求めることは、恥ずかしいことではないと言うこと。

人のせいで、自分でダメにしないこと。

そんなこと、老婆心ながら、今まで生きてきた私からの言葉。